ロードコースのテストレースは、自転車好きの間にはFBなどで知らされ、どこで見ようか、とそれぞれが思っていたはずだ。いつも走っている尾根幹がコースになっていることもあり、橋本まで出れば、413号から道志みちをめざすのもいい。実際、道志みちや山伏峠で観戦した人も多かったようだ。私はというと、家を出たのは11時過ぎで、武蔵野の森公園はスタートが12時、是政橋まではパレード走行で、そこまでが10kmということなので、迷わず是政橋をめざした。そんなに人はいないだろうと、高をくくっていたのに、いつもは人のいない是政橋には、びっしりと人の列。交通規制はまだ行われていないようだった。そこで、そのまま川崎街道を渡ると、ここは規制となって歩道を行くことを指示される。この連光寺へと行く多摩南野駅前もすごい人。コースはここから登り坂となる。てくてくと登っていくと、それはすごい人の数で、あまり通過までに時間もなさそうなので、空いたスペースに自転車を停め、場所を確保した。中央分離帯にはフェンスがおかれ、そこにも人がいる。12時21分、何台もの審判カー、チームカーが通過後、選手一団がやってくる。動画を撮っていたけれど、時間にして20秒、観戦は終了。みんな、ぞろぞろと歩き出す。一人、自転車が車道を走っていったので、私もその人に続いた。すると、後ろからパトカーが、「自転車の方、気を付けてください。この車を持って、規制解除とします」と、パトカーに続いて、まだまだ規制の続く尾根幹へ向かった。
9年ぶりの皆生トライアスロン
トライアスロンは、今年で20年になるので、皆生トライアスロンに出たのは、丁度10年経った頃、五島アイアンマン・ジャパンに出た翌年だったと記憶している。当時まだ月刊誌だったトライアスロン・ジャパンに、毎年皆生のバイクコースが、ジェットコースターとして紹介され、「灼熱の皆生」の名を欲しいままにしていた。たった一人で申込み、宿は皆生つるやに指定された。大きな部屋に女性4人部屋で、そこから6年間、部屋仲間で毎年皆生で会うようになった。最後に出たのは、30回記念大会で、来年は40回大会らしいので、かれこれ10年が経っている。今年は皆生つるやで申込みをしたものの、満員で申し込めず、前日の土曜日、一言挨拶を、とフロントで女将を呼んでもらった。ハガキで参加を知らせていたので、「どうして(リストに)名前がないのかと思った。ハガキ書こうと思ってたのよ」と、手を取って離さない。お茶でも飲んで行って、と同行の友達も呼んで、しばしコーヒータイムとなる。つるやは、女将のお母さん、大女将が皆生温泉女将連合会の会長だった人で、今も健在。女将の娘さんも、現在女将修行中だという。10年前は、中山のエイドでボランティアもしてくれていた。懐かしさでいっぱいのひとときを過ごして、「絶対に入っていってね」と二日分の温泉入浴券と、レース当日食べるように梅干しのお菓子まで持たせてくれた。皆生の人の温かさが、皆生トライアスロンの魅力でもある。
水の月
6月水無月は、水の月という意味だそうだ。梅雨であり、田植えの時期であり、水の恵みを感じる月という意味があるらしい。そういう月に生まれた私は、ちょうど誕生日がプール開きの翌日で、小学校の頃からプールが大好き。小学校の特別水泳クラブというのに入っていた。何が特別かはわからないが、おそらく屋外プールだったので、夏場の時期だけ、ということだと思う。なので、野球をやっていても、サッカーをやっていても、運動が得意な同級生はみな水泳部に入っていた。顧問は体育の原先生で、一つ下の弟の5、6年の担任だった。平泳ぎのブレスのタイミングを、私は原先生のデッキブラシで頭をコツンと叩かれて覚えた。夏休みの午前中は練習で、午後弟が学年プールに泳ぎに行くと、「コージ、さっき姉ちゃん来てったぞ」なんて言われていたそうだ。そういう小学校の時期を終えて、大人になっても泳ぐのは大好き。そして、トライアスロンも始めた。今年は20年目。冬は生まれて初めて、左腕の筋肉を傷めて、3週間前まで25mも泳げなかった。小嶋トレーナーに鍼、施術をやってもらって、ようやく昨日は1500m泳ぐことができた。小学校2年生の時に、初めて25m泳げた時と同じくらいにうれしかった。来月の皆生はスイムは3km。とても無理だと思っていたけど、ようやく光明が見えてきた。ただ、右膝が痛いけど。
仙川20K
関東地方が梅雨入りして、日曜日も梅雨空。朝から今にも雨が降り出しそうな天気なので、自転車はやめにして、いざ仙川へ。涼しくていいけれど、湿度は高い。なので、少し走っただけでも汗が出る。先週も走った仙川は、この日は体も軽くて走りやすかった。快調に甲州街道まで行き、そこから新川の折り返しをめざすが、なんだか右膝が痛い。帰りはびっこを引きながら、時々歩きを入れながら、ようやく帰ってきた。ラン歴20年、膝が痛んだことはなく、筋肉にも自信があったので、またまた不安が増えた。左上腕はまだ痛く、スイムも不安。年を取ると、あちこち痛くなる。本当に実感する。練習量は減らして(十分減らしてるけど)、体と向き合っていかないと、長くは続けられない。というわけで、夜は筋肉のために焼肉。この日は1人だったので、一人焼肉。
5月・真夏日のたまライド
今年最初のたまライドは、午前中から気温は30℃越え、それでも木陰に入ると風は爽やかで、一人もちぎれることなく、和やかなうちに終了した。若い世代が多かったのと、女性が3人もいたことで、自然と華やいだ雰囲気に。昼食のテーブルでは自転車談義で盛り上がっていた。前半に登りが続くコースは、みな快調に飛ばしていたが、後半は暑さや疲れからペースは落ち気味。先導で飛ばして走っていると、「飛ばし過ぎ」と幹さんに言われた。なぜか終盤元気になるのは、糸魚川と同じ。初めての70kmという人も多く、完走証を渡すと、「達成感がすごくあります」と感想を言ってくれた。往復自走したので、この日の走行距離128km、さすがに疲れて夕食も摂らずに撃沈。
初夏・仙川
気がつけば、5月下旬、季節は夏になろうとしていた。仙川を走ったのは、ちょうど桜が満開の頃だったから、一月以上前。仙川の風景は様変わりしていた。スイカズラが薫り、夏草が生い茂り、新芽の香りが立ち込めている。もうすぐプール開きというこの時期、生まれた頃というのもあって、好きな季節だ。糸魚川から戻って、体は一向に回復しないのだが、ランへ出かけた。足元はNIKEのnewシューズ。見栄えはいいのだが、如何せんエンジンが‥‥。仙川に入って、時々歩きを入れて、また走り。甲州街道は越えられそうもないので、祖師谷公園で折り返し。とにかく、大腿筋、ハム、腰が痛い。年を取ったと思うのは、回復に時間がかかること。毎日、眠くて仕方がない。ランが終わった後も、昼寝をする始末。7月の皆生も決まって、新しいウエットスーツは届いたのに、果たして、2月から痛い左肩で泳げるのだろうか。
糸魚川まで288km
今年は令和になって10連休、その次の土曜日が東京→糸魚川ファストラン、という慌ただしいスケジュール。しかも、連休最初の日曜日の朝、なんだか喉が痛くて、その日から風邪薬を飲み続けるが、1週間は走れず。10日の休みのうち、結局走れたのは4日だけだった。まだ咳も痰も出るし、どうなるんだろう、とスタート地点へ。ここ2年は雨のスタートだったけど、今年は寒くもなく、そして風もなく、この上ない好天だった。道中、1年ぶりのメンバーと挨拶したり、追い抜く時に声を掛けられたり。ようやく明るくなってくるのは、白州あたり。富士見峠を越えて諏訪湖あたりで、卯月夫婦に追いつかれる。4人のパックで第一チェックポイントへ。その後、信州新町大岡エイド、そばパンをいただいて、ここからは長野市へ出て、坂中峠を越えて、妙高へ向かう。妙高でもまだ寒くもなく、残りは90km。冷えたゼリーを1個食べて、橋本さんが、「おいなり、食べてよ」というので1個食べ、あんぱんをポケットに入れて出発。妙高の下りは長いが、今年も向かい風、ということは、海岸線の8号線までも向かい風ということ。50kmは我慢の走り。海岸線に出ると、なぜかスイッチが入り、がんがんと踏める。今年は向かい風ではないようだ。残り40kmは、高回転で踏み続け、あと○km、とサイコンの数字を頼りにゴールをめざす。午後4時45分、ようやくゴールゲートが見えてきた。みんなが出迎えてくれて、3年ぶりにゴールできた。