自転車で走ろう

9月中旬になろうというのに猛暑日が続き、気温もさることながら、湿度80%に、もはやギブアップ。母の仏壇前の花は10日持たず、駅から花屋への200mを日差しに向かって歩いていたら、気を失いそうになった。暑すぎる。帰りは雷雨というので、日傘も持ってない。実家に着いて「暑い、暑い」と言っていたら、ソファでごろごろしている弟が「暑いって言うと、余計暑くなるよ」だと。この前の台風で、相模原の自宅も揺れたというのだから、千葉県の甚大な被害はいかばかりか。この暑さのなか、電気も水も情報もなく。東電はあらゆる力を注いで復旧すべきではないか。生温い会見が腹立たしい。内閣改造結構、ただ官邸でだらだらと子育て論を語る新環境相を報じる時間があるなら、千葉の現状をもっとリポートしたらどうか。だいたい、ぺらぺら喋る男は中身が薄い。だまっていればわからなかったのに、おつむの程度が知れてしまう。私は何もできないから、ガソリンスタンドで役に立っている競輪選手を見習って、自転車に乗ろう。

20年目の佐渡

今年も暑い夏が来て、しかも殊の外高湿度の厳しい夏だった。こんなに自転車に乗らなかった夏もなかった。しかも、6月にランの練習中に鵞足炎になって、7月の皆生もラン前にリタイア、そして20回目の佐渡も、ランの第一エイドでリタイアした。バイクまでは楽しかったのに、走り出すと右膝が痛み、それをかばっていたのか左太ももはこむら返り手前。3kmまでのエイドを半分歩いて、ジ・エンドだった。今年のトライアスロンは怪我のために記録なし。海は荒れて、バイクは向かい風がきつく、ランは暑かった。いつもの佐渡が、今年はちょっと厳しかった。七浦荘に着く前、行きのフェリーで選手権の高濱くんからご主人の訃報を聞き、去年に続いて豊ちゃんのいない宿だった。亡くなったのは、4月11日、奇しくも亡き母の誕生日。64歳、あまりに若かった。宿はいつものメンバーで賑やかに、食事の時は隣の席は津軽鉄人会の面々。7月の鯵ヶ沢トライアスロンへ、というゆるい約束をして、今年は散会。