猛暑の中にも秋の気配

猛暑が続いて2週間、そろそろ飽きてきた。しかも、今年の暑さは「ムッ」と暑い。外へ出ようとして、ドアを開けた途端、「ムッ」と熱気が襲う。朝、ベランダで洗濯物を干しただけで、汗だく。冷房をしている室内で、食事の支度をしただけでも汗だく。そんなお盆前の山の日振替休日、8月に入って初めてバイク練へ。どこを走ろうかと、走り始めて考えたが、道路も混んでいそうなので、国道246号や尾根幹は避けて、いつもの多摩川沿いで北上。新奥多摩街道に出て、さてどこで左折か、と曲がったことのない拝島橋へ。朝方の雨で、風に当たる風は涼しい。16号線のバイパス沿いを歩道で登りながら、やがて見覚えのある左入町。たまライド50Kのコースで通ったところ。勝手知ったる道を進み、モノレール下へ出る。そろそろマグボトルの水がなくなってきたので、コンビニ休憩。まだ50km走っていないけれど、このまま戻る。インナーに入れるほどの登り坂はなかったものの、少しの登りでもヘロヘロ。それでも、そろそろ夏は終わり、を感じさせた。

 

夏・京都西大文字町

車が新しくなって、かれこれ20日。ずっと気になっていた、一年半前に亡くなったピエールのお墓参り。ちょうど、一年前に母の納骨があって、私も一区切りだったので、佐渡前の時間のある8月に車で行ってみることにした。春からいろいろ考えていて、新幹線で輪行、という案もあったけど、この暑さで自転車と荷物を持っての乗り降りはどうも考えにくい。距離は440km、一日で往復は無理なので、まず宿を予約して、同行者を探すことにした。毎年、誕生日の頃に大学の同級生、ターコが電話をくれて、近況をお互い話すのだけど、大阪の両親の介護もあって、春から兵庫県三田市に移ったということ。ちょっと三田までは行けないなぁ、京都も遠いよね、なんて話をしていたところだった。とりあえず、メールで京都行きのことを報告したら、翌朝電話があって、ちょうどその前日に娘が活動するヤクザル調査隊なる、屋久島のチンパンジーを研究する京大のグループの講演会があって、夫と行くのだという。5日は関学教授の夫は東京に学会で出かけるので、時間つぶしをしているというのだ。ピエールのお導きか、とんとん拍子に話は進んで、夕方、琵琶湖のホテルで落ち合うことになった。まずは、京都まで車で行って、お寺をみつけてお墓参り、そして琵琶湖のホテル最寄駅にターコを迎えに行き、ホテルへ。一日のミッションが盛り沢山だ。家族にも休み休み行くように言われていたのだけど、とにかく暑いので、SAで降りて歩くのも大変。中間地点の浜松SAでおにぎりを食べて、休憩はそれだけ。お寺をみつけるのに、道がどんどん狭くなってこわいので、車を停めて水を撒いていたご婦人に場所を聞く。「あそこかなぁ、一緒に行きましょか」と向かいに住んでいる大学生の孫にも場所を聞いてくれて、二人でお寺までトボトボ。そのお寺の奥さんは、犬の散歩で顔見知りだとわかった。三人でお墓参り。その後、「お茶でもあがっていってください」と冷茶とお菓子を出してくださって、少しお話をする。なんとも、親切なご婦人たちであった。丁寧に御礼を言って、私はすぐに高速に乗って、最寄駅へ。なんとかターコと落ち合って、ホテルでは20年ぶりぐらいの、積る話を夜中までしていた。朝、琵琶湖を散歩して、また来年琵琶湖で会おうね、と約束した。

梅雨明け前日のたまライド

先月も一年前も、雨、台風の予報で前日まで実施を見合わせていた。今月も、木曜日になって台風発生。関東接近とあって、降水確率とにらめっこ。前日、ルートが少し逸れて北へ向かうという予報で、実施を決定。日曜日の朝、まだ雨は残っていたものの、8時前にはあがって、やがて予報と大きく外れて、ピーカンの天気になった。風がなく、湿度は高いので、暑さが余計に堪える。最後の休憩のコンビニでは、参加者はみな真っ赤な顔をして、アイスキャンディを頬張っていた。強い西日に向かって、ひたすら走る。こんな時はいつもの向かい風も恋しくなる。無風の西日は、どうにも暑い。ようやくゴールとなって、みなほっとした表情で、「完走できてよかった」。私は、大きく遅れた女性2人を、ほぼ50km先導し、信号待ちで後ろを待つのが辛かった。走っていないと、どうにも暑い。

東京五輪テストレース

ロードコースのテストレースは、自転車好きの間にはFBなどで知らされ、どこで見ようか、とそれぞれが思っていたはずだ。いつも走っている尾根幹がコースになっていることもあり、橋本まで出れば、413号から道志みちをめざすのもいい。実際、道志みちや山伏峠で観戦した人も多かったようだ。私はというと、家を出たのは11時過ぎで、武蔵野の森公園はスタートが12時、是政橋まではパレード走行で、そこまでが10kmということなので、迷わず是政橋をめざした。そんなに人はいないだろうと、高をくくっていたのに、いつもは人のいない是政橋には、びっしりと人の列。交通規制はまだ行われていないようだった。そこで、そのまま川崎街道を渡ると、ここは規制となって歩道を行くことを指示される。この連光寺へと行く多摩南野駅前もすごい人。コースはここから登り坂となる。てくてくと登っていくと、それはすごい人の数で、あまり通過までに時間もなさそうなので、空いたスペースに自転車を停め、場所を確保した。中央分離帯にはフェンスがおかれ、そこにも人がいる。12時21分、何台もの審判カー、チームカーが通過後、選手一団がやってくる。動画を撮っていたけれど、時間にして20秒、観戦は終了。みんな、ぞろぞろと歩き出す。一人、自転車が車道を走っていったので、私もその人に続いた。すると、後ろからパトカーが、「自転車の方、気を付けてください。この車を持って、規制解除とします」と、パトカーに続いて、まだまだ規制の続く尾根幹へ向かった。

9年ぶりの皆生トライアスロン

トライアスロンは、今年で20年になるので、皆生トライアスロンに出たのは、丁度10年経った頃、五島アイアンマン・ジャパンに出た翌年だったと記憶している。当時まだ月刊誌だったトライアスロン・ジャパンに、毎年皆生のバイクコースが、ジェットコースターとして紹介され、「灼熱の皆生」の名を欲しいままにしていた。たった一人で申込み、宿は皆生つるやに指定された。大きな部屋に女性4人部屋で、そこから6年間、部屋仲間で毎年皆生で会うようになった。最後に出たのは、30回記念大会で、来年は40回大会らしいので、かれこれ10年が経っている。今年は皆生つるやで申込みをしたものの、満員で申し込めず、前日の土曜日、一言挨拶を、とフロントで女将を呼んでもらった。ハガキで参加を知らせていたので、「どうして(リストに)名前がないのかと思った。ハガキ書こうと思ってたのよ」と、手を取って離さない。お茶でも飲んで行って、と同行の友達も呼んで、しばしコーヒータイムとなる。つるやは、女将のお母さん、大女将が皆生温泉女将連合会の会長だった人で、今も健在。女将の娘さんも、現在女将修行中だという。10年前は、中山のエイドでボランティアもしてくれていた。懐かしさでいっぱいのひとときを過ごして、「絶対に入っていってね」と二日分の温泉入浴券と、レース当日食べるように梅干しのお菓子まで持たせてくれた。皆生の人の温かさが、皆生トライアスロンの魅力でもある。

水の月

6月水無月は、水の月という意味だそうだ。梅雨であり、田植えの時期であり、水の恵みを感じる月という意味があるらしい。そういう月に生まれた私は、ちょうど誕生日がプール開きの翌日で、小学校の頃からプールが大好き。小学校の特別水泳クラブというのに入っていた。何が特別かはわからないが、おそらく屋外プールだったので、夏場の時期だけ、ということだと思う。なので、野球をやっていても、サッカーをやっていても、運動が得意な同級生はみな水泳部に入っていた。顧問は体育の原先生で、一つ下の弟の5、6年の担任だった。平泳ぎのブレスのタイミングを、私は原先生のデッキブラシで頭をコツンと叩かれて覚えた。夏休みの午前中は練習で、午後弟が学年プールに泳ぎに行くと、「コージ、さっき姉ちゃん来てったぞ」なんて言われていたそうだ。そういう小学校の時期を終えて、大人になっても泳ぐのは大好き。そして、トライアスロンも始めた。今年は20年目。冬は生まれて初めて、左腕の筋肉を傷めて、3週間前まで25mも泳げなかった。小嶋トレーナーに鍼、施術をやってもらって、ようやく昨日は1500m泳ぐことができた。小学校2年生の時に、初めて25m泳げた時と同じくらいにうれしかった。来月の皆生はスイムは3km。とても無理だと思っていたけど、ようやく光明が見えてきた。ただ、右膝が痛いけど。

仙川20K

関東地方が梅雨入りして、日曜日も梅雨空。朝から今にも雨が降り出しそうな天気なので、自転車はやめにして、いざ仙川へ。涼しくていいけれど、湿度は高い。なので、少し走っただけでも汗が出る。先週も走った仙川は、この日は体も軽くて走りやすかった。快調に甲州街道まで行き、そこから新川の折り返しをめざすが、なんだか右膝が痛い。帰りはびっこを引きながら、時々歩きを入れながら、ようやく帰ってきた。ラン歴20年、膝が痛んだことはなく、筋肉にも自信があったので、またまた不安が増えた。左上腕はまだ痛く、スイムも不安。年を取ると、あちこち痛くなる。本当に実感する。練習量は減らして(十分減らしてるけど)、体と向き合っていかないと、長くは続けられない。というわけで、夜は筋肉のために焼肉。この日は1人だったので、一人焼肉。

5月・真夏日のたまライド

今年最初のたまライドは、午前中から気温は30℃越え、それでも木陰に入ると風は爽やかで、一人もちぎれることなく、和やかなうちに終了した。若い世代が多かったのと、女性が3人もいたことで、自然と華やいだ雰囲気に。昼食のテーブルでは自転車談義で盛り上がっていた。前半に登りが続くコースは、みな快調に飛ばしていたが、後半は暑さや疲れからペースは落ち気味。先導で飛ばして走っていると、「飛ばし過ぎ」と幹さんに言われた。なぜか終盤元気になるのは、糸魚川と同じ。初めての70kmという人も多く、完走証を渡すと、「達成感がすごくあります」と感想を言ってくれた。往復自走したので、この日の走行距離128km、さすがに疲れて夕食も摂らずに撃沈。

初夏・仙川

気がつけば、5月下旬、季節は夏になろうとしていた。仙川を走ったのは、ちょうど桜が満開の頃だったから、一月以上前。仙川の風景は様変わりしていた。スイカズラが薫り、夏草が生い茂り、新芽の香りが立ち込めている。もうすぐプール開きというこの時期、生まれた頃というのもあって、好きな季節だ。糸魚川から戻って、体は一向に回復しないのだが、ランへ出かけた。足元はNIKEのnewシューズ。見栄えはいいのだが、如何せんエンジンが‥‥。仙川に入って、時々歩きを入れて、また走り。甲州街道は越えられそうもないので、祖師谷公園で折り返し。とにかく、大腿筋、ハム、腰が痛い。年を取ったと思うのは、回復に時間がかかること。毎日、眠くて仕方がない。ランが終わった後も、昼寝をする始末。7月の皆生も決まって、新しいウエットスーツは届いたのに、果たして、2月から痛い左肩で泳げるのだろうか。

糸魚川まで288km

今年は令和になって10連休、その次の土曜日が東京→糸魚川ファストラン、という慌ただしいスケジュール。しかも、連休最初の日曜日の朝、なんだか喉が痛くて、その日から風邪薬を飲み続けるが、1週間は走れず。10日の休みのうち、結局走れたのは4日だけだった。まだ咳も痰も出るし、どうなるんだろう、とスタート地点へ。ここ2年は雨のスタートだったけど、今年は寒くもなく、そして風もなく、この上ない好天だった。道中、1年ぶりのメンバーと挨拶したり、追い抜く時に声を掛けられたり。ようやく明るくなってくるのは、白州あたり。富士見峠を越えて諏訪湖あたりで、卯月夫婦に追いつかれる。4人のパックで第一チェックポイントへ。その後、信州新町大岡エイド、そばパンをいただいて、ここからは長野市へ出て、坂中峠を越えて、妙高へ向かう。妙高でもまだ寒くもなく、残りは90km。冷えたゼリーを1個食べて、橋本さんが、「おいなり、食べてよ」というので1個食べ、あんぱんをポケットに入れて出発。妙高の下りは長いが、今年も向かい風、ということは、海岸線の8号線までも向かい風ということ。50kmは我慢の走り。海岸線に出ると、なぜかスイッチが入り、がんがんと踏める。今年は向かい風ではないようだ。残り40kmは、高回転で踏み続け、あと○km、とサイコンの数字を頼りにゴールをめざす。午後4時45分、ようやくゴールゲートが見えてきた。みんなが出迎えてくれて、3年ぶりにゴールできた。