今年は暖冬のおかげで、紅葉の期間が長いのだという。もう師走だというのに、都内はまだまだ見頃らしい。さのマラソンまで2週間という週末、二度目の30km走に出かけてみる。金曜日まで腰は痛く、土曜日の夜、なんとなく痛みがおさまった、という程度で出かける始末。走れなければ、早目に折り返そうといつもの緑道。少し遠回りをして目黒川沿いに出て、大崎で折り返し。1時間半も経過して、この頃から時々歩きを入れないと、どうにも大臀筋が痛い。目黒川沿いはアパレルショップのセールもあって、誘惑が多い。歩くついでに、お店を覗いてみる。ようやく目黒通り、そして駒沢通り。それにしても、X’masイルミネーション前の街はきれいで、歩いていても楽しい。って、歩いてるし。今日はファイン・トラックを着ているので、汗をかいても体が冷えない。アンダーウエアはやっぱりすごい。目黒川からいつもの緑道に戻ると、残り40分くらい。時々、緑道から逸れて、住宅街に入る。松陰神社前のSUDOは日曜日はお休み。閉店した人気店、らーめん辰屋が壊されていて寂しい。家までもうすぐ、というところで、ほとんど歩きになる。あー、疲れた。
冬の散歩道
3週間ぶりのランニング。前回の30km走の翌日から発熱、風邪完治までに3週間、しかも軽いぎっくり腰まで起きていて、ようやく走ることができた。しかも、まだ腰は痛い。一日目は近所の馬事公苑を周回し、二日目はいつもの目黒川。紅葉は一層深まって、雰囲気もたっぷり。目黒に入ると、まるでヨーロッパの冬の景色のようになる。S&Gの冬の散歩道のジャケットのような感じ。クリスマスまでにはまだ時間はあるけど、すでにイルミネーションが始まっているところもある。冬のコートに身を包んだカップルが、休みのデートを楽しんでいる。午後降るはずの雨が小雨ながら落ちてきた。寒くはないので、フードもかぶらずに走り続ける。今日は目黒通りで折り返し。帰りは向かい風だった。
秋とても深し
秋が深まり過ぎて、この時期にしてはすごく寒い。土曜日、相模原市の実家でファンヒーターを出した。一週間前、ロードの乗り納め、と尾根幹を走って、ススキの多さに驚いたが、その道も車で通ったらすでに紅葉が始まっていた。場所によっては銀杏が落ちているところもある。そして日曜日、朝起きるとすでに全日本駅伝が始まっていたので、テレビを点けつつ、洗濯、冬物を出す、などをしていたら昼近くになってしまって、駅伝も佳境になってきたので、結局最後まで見てしまう。東洋大、復活。早稲田も残り3kmを駒沢と競り合い、惜しくも4位で大健闘。本当は午前中にランに出かけたかったが、ランの恰好のまま昼食を食べ、録画してあったラグビーW杯決勝戦を少し見てからジムへ行き、3時から走り出す。6時からのグループパワーに出るつもりで25kmを走る予定で出たものの、1時間15分折り返し予定の場所が大崎付近だったので、ここまで来たらもったいない、と15分走り足して、天王洲で折り返し。今期初の30km走。ジムへ戻ったのは6時10分。この時期の30km走は、野川経由を走ることが多いけれど、目黒川コースにすると、ちょっとおしゃれな街並みを走れて楽しい。ランの悲壮感が少し薄れる。しかし、足は痛くて、シューズを脱ぐのも大変。お風呂にゆっくり浸かって、帰宅後は筑前煮とさつま芋の甘露煮を作って夕食。ランのシーズンが始まった。
サンセット・シクロクロス
立川市旧多摩川小学校のサイクルステーションで行った第1回目のサンセット・シクロクロスが無事に終了した。9月末にオープンしたCSでの初めてのレース。校庭を使って、一周2分未満、プロ選手で1分20秒のショートサーキットを、30分の間周回する。高低差はないものの、コーナーの連続で、堆積した砂にタイヤを取られて、転倒は続出。「膝小僧を擦り剝いて、校庭の水道で洗うって、なんか懐かしい感じがした」と参加選手。そういえば、校庭で遊ぶのは、みんな小学生以来のはずで、何十年も前の話。受付は保健室だし、表彰式は朝礼台だし、タイヤの跳び箱もあるし、夕方はライトも点灯して、夕焼け小焼けで日が暮れて、と歌いだしたくなるような、ノスタルジックなレースになった。「いやぁー、楽しかった」と、転んで砂だらけになった顔をくしゃくしゃにして、何人もが言ってくれた。こういうレースから、本格的なシクロクロスへ参戦できる。敷居の低い、シクロクロスレースが誕生した。
水の道・らいど
11月に立川市で行うサイクリングイベントがTAMAGAWA水の道・らいど。旧多摩川小学校にできたサイクル・ステーションをスタートして、コースの7割で川、上水が見える、まさに「水の道」。最初にコース試走をしたのが、梅雨の6月。お天気はよくなかったが、羽村取水口まで続く玉川上水は、静逸で美しく、ここが東京か、と驚くほど。多摩川も日野橋を越えると、ぐっと風景が違ってくる。遠くに奥多摩の山々の稜線が見えて、遠くに来たんだなぁと思える。多摩川はどの景色もすばらしいけれど、羽村に向かっていく、この辺りの風景は本当に素敵だ。このイベントの普及で、自転車店にフライヤーを配りに行ったり、コースの撮影に行ったり、10月までに5回、立川周辺に出かけた。立川には今まで、まるで馴染みがなかったけれど、端から端まで何度も自転車で走ったので、町名もわかるし、なんだかこの町が好きになってきた。基地の町、というイメージしかなかったけれど、自然は豊かだし、飛行場はあるし、福生や拝島も近い。玉川上水も三鷹周辺の景色とは明らかに違ってくる。自転車に乗る人は増えているけれど、こういうコースを走れば、本当に自転車はいいな、と思えるはず。帰りは新奥多摩街道を通って、石川酒造でお土産の梅酒を買った。
秋の東京→糸魚川
秋の東京→糸魚川スポルトは、今年で16回目。一回目も出ているので、それは16年も前のことになるのだと、それはそれで感慨深い。あの頃はスタート地点は京王高尾山口駅前だったし、距離も300kmに満たなかった。神保町の明治大学からスタートするのも、今年で3回目。距離も40km長くなった。一人で走る春の糸魚川とは、コースは一部同じでも、走り方はまったく違う。私達は3人のチームなので、一人が一回に走る距離はだいたい30km、1時間と少しで交代、走り終わると助手席に座って、ゼイゼイしながら補給をし、次のポイントになったら自走者の自転車を降ろし、帰ってきた走者の自転車を積み込み、そして運転。この繰り返し。一回に走る出力が相当大きいので、疲労度も強く、これをインターバルで繰り返すので、結構きつい。しかも、交代ポイントに着いて、走者が来るまでは10分くらいなので、そんなに猶予もなく、忙しい。ここ数年は、スマホになったこともあって、コースはルートラボで見直せるし、ナビを使って次の交代ポイントのコンビニを探すこともできる。それでも、コースアウトをするチームもチラホラある。今年、私が走ったコースは、最後のゴールまでの下り基調をのぞいて、すべて登りばかりだった。交代ポイントの思い違いで43km走った笹子峠までの登り、富士見峠、そして、塔の原から木崎湖までのだらだらとした向かい風の中の登り。普段の練習なら、垂れてしまうようなコースも、チーム戦となればそうもいかず、最初から全力でいくので、水を飲む暇もない。交代ポイントになると、「早かったね~」と喜んでくれる顔を励みに、回しに回す。ところどころで、他チームと一緒になったり、追い抜いたり、抜かれたり。その様子は、夜行われる懇親会&表彰式で、一斉にはじける。この夜が本番という参加者も多くて、125人の宴会場は、なかなか盛大な結婚式場みたいでもある。1位から順番に檀上に呼ばれ、1分で口上を述べ、賞品を受け取る。9時まで、大いにしゃべって、大いに笑って、部屋に戻ってからW杯ラグビー、サモア戦を見つつ爆睡。真夜中2時からの、長い長い一日が終わった。
秋の5連休
国民の祝日ってなんだ、と年始休暇よりも長い4連続休日マークを眺める。去年は敬老の日も秋分の日も飛び石だったはず。10%消費税アップ前提で景気回復を目論んだ安倍政権の差し金か、6年ぶりという大型秋連休は、新幹線も高速道路も120%の過密ぶり。最寄駅から一ミリも東寄りに行っていない私は、三日連続で尾根幹練。来る日も来る日も同じコースを走って、2週間後の糸魚川スポルトに備えた。いつものんびりとした尾根幹も、車車の大行列。時速25kmくらいの自転車のほうが断然速い。連休を走るサンデードライバーのマナーはひどく、左側溝をまたぐように走ったり、左折専用レーンに停まる車の右脇を直進しようとしたとたん、後ろから大声で怒鳴られたり。渋滞でイライラしているのかもしれないが、とても誉められた運転ではなく、当然渋滞で何度も追いついて、その度に運転席に向かって意見を申し上げた。自転車と車の事故現場にも出くわしたが、自転車ばかりが悪いわけでも、車が一方的に悪いわけでもないのだろうが、要するに、交通量が多いのだ。それでも、北野街道まで来れば、車はほとんどいないし、のんびりと並木道を走って、走り慣れた町田街道を行く。一週間前にぎっくり腰のように痛んだ腰は、まだ動き出しの時に痛み、上り坂へ手強い。それでも、自転車で走ったほうが断然楽しい。最終日、相模原へ車で向かう時に、稲城の梨園で梨を買った。10月半ば頃まで毎日買えるらしい。稲城の梨は大きく、甘く、昔の長十郎のようにシャキシャキとして美味しかった。
2015佐渡国際トライアスロン
16回目の出場となる佐渡国際トライアスロン。今年は4年ぶりに3人で参加することができて、金曜日の早朝出発。いつもの宿でいつもの仲間と一年ぶりに再会し、楽しい4日間を過ごしてきた。本当に天気が良かった土曜日とは打って変って、夕方から雨という予報も見事に外れたレース本番の日曜日。雨はバイクの途中から降り始めた。バイクから戻った12時過ぎには、トランジットの荷物は水浸し。びちゃびちゃになった靴下を履き替え、ランシューズを履いて、いざ最後のラン。ものすごく暑かった去年とは違って、いくら雨でも涼しいと楽、と序盤は良かったものの。折り返してから、顔は暑いのに、冷えた腰がどんどん痛む。エイドの度に梅干しやレモンをもらって食べるが、痛い腰はまっすぐには立てられず、かなりな前傾姿勢で走っている。せっかくバイクで抜いたのに、それ以上の人にもどんどん抜かれ、残り2kmとなっても、歩きたい気持ちで走っていた。最後のカーブで絹ちゃんに声を掛けられ、「すごく腰曲がってたね」と、応援のしーちゃんにも言われる始末。会場に入っても歩きたかったが、なんとかゴール。ランがひどかったので、到底年代順位も悪いだろうと、翌朝会場へ行くと、なんと1位、二連覇。表彰式で何人もの友達が写真を撮ってくれていて、お祝いメッセージも送ってくれた。タナボタのような1位だったが、すごくうれしかった。毎年、16回も来ている佐渡で、今年もなんの観光もしなかったが、一年ぶりに会った佐渡の面々は何も変わらず、また一年後の再会を約束。
酷暑
暑い、暑いと言い続けて、もう8月も半ばすぎ。かれこれ一月以上、猛暑が続いている。今年は気温以上に、蒸し暑い日が多い気がする。晴れているのに、洗濯ものがパリッと乾かない。よって、不快指数は高いはずだ。ロード練に行くのは日曜日だが、最も暑かった2週間前はさすがに最短コース45kmしか走れず。今週は、朝8時40分から出かけたら、午前中はまだ暑さもほどほどで、野猿街道から高尾までの80kmを走ることができた。ボトルごとキンキンに凍らせたのを2本、それでも最後に残った水はお湯になっている。先週はノースリーブで走ったが、今週は去年の糸魚川の入賞賞品でもらったSUGOIのアームクーラーがあることを思い出し、半袖ジャージに白いアームクーラーをつけて行った。暑いのか、涼しいのかよくわからないけど、陽に焼けることはない。途中でボトルの水を腕、背中にかけると、風が抜けて涼しい。37℃の猛暑のときは、気持ちが悪くてフロントをインナーに落とさないと登れなかった連光寺の坂も、この日は楽々。あんまり暑いときは、ロードの数もめっきり少ない。残り20kmの大蔵のファミリーマートで、いつものようにカフェフラッペ休憩。氷が入る胃のあたりが痛むけど、冷たくて美味しい。もうすでにお湯になった残りの水を口に含んで、ラスト1時間弱。やっと帰り着いて、水風呂に入った時の気持ちの良さといったらない。この日は、いつもの頭痛もなく、夕方はグループパワーで、軽く筋トレのエクササイズ。
信州そば
野尻湖トライアスロンに参加するために、上越道で信濃町へ向かう。お昼ご飯を食べるために、長野ICで降りて、糸魚川で激坂コースとして知られる坂中峠へ。この峠の登ったあたりに、町営の蕎麦屋よこ亭があるので、寄ることにした。店の前には水車があり、石臼挽き手打ちそばが人気らしい。野菜天ざるの大盛り。本当に大盛りで、かなりお腹がいっぱいになる。ここからすぐに18号線に合流、しばらく行くとナウマン象のある野尻湖の交差点。小学校のグラウンドはいつもぬかるんでいて、ここに車を停めて、車検、受付を済ませる。プログラムを見ると、今年の女子の参加は22名。今までで一番少ない。まだ時間が早いので、道の駅で野菜を物色し、ホテルへ向かう。雨は降っていないが、雨予報。いつもことながら、どうして申込みしちゃったかなぁ、と後悔しつつ、会場入り。すでに、トランジットのバイクはいっぱい。隣は去年、年代2位だったしーちゃん。今は駒ヶ根で夫と暮らしている長野県民。この大会は長野県の強豪が多い。右隣は総合3位だった選手権の女性。なんと、名前入りのジャパンジャージ。これ、テレビで見るやつ。スイムアップまで、みんなであれやこれやと話をし、スタートまでもずっと話をしていた。いよいよ、スタート。いつものおじさんの掛け声と、デンジャラス・ノッチの掛け声で、冷たい湖を泳ぎだす。水温22度。後半はいつも手先が痺れるほど冷たい。三角形のコースを、バトルもあまりなく泳ぎ、バイクへ。いきなり登りになる難コースを3周。今年はめずらしく雨がないので、いつもより声援が多い。3周を終え、バイクフィニッシュのラインで止まると、「はい、上手にできました」と言われた。シューズを履きかえて、最後のラン。暑くなく、走りやすいが、いつものことながら苦しい。名前で呼んでくれる声援に手をあげて答えながら、なんとか走る。心臓が飛び出るかと思うほどの登りは、今年も歩き、ドーム型の陸橋も転ばないように登り降り、ようやく折り返し。何人もとハイタッチをして、あと○km、あと○kmと数えながら、最後の直線。最後だけ、サングラスを外して、思いっきり笑顔でゴールした。しーちゃん、選手権のNさんに、「来年も来るでしょ」と約束させられ、8度目の大会も無事終了。