信州そば

野尻湖トライアスロンに参加するために、上越道で信濃町へ向かう。お昼ご飯を食べるために、長野ICで降りて、糸魚川で激坂コースとして知られる坂中峠へ。この峠の登ったあたりに、町営の蕎麦屋よこ亭があるので、寄ることにした。店の前には水車があり、石臼挽き手打ちそばが人気らしい。野菜天ざるの大盛り。本当に大盛りで、かなりお腹がいっぱいになる。ここからすぐに18号線に合流、しばらく行くとナウマン象のある野尻湖の交差点。小学校のグラウンドはいつもぬかるんでいて、ここに車を停めて、車検、受付を済ませる。プログラムを見ると、今年の女子の参加は22名。今までで一番少ない。まだ時間が早いので、道の駅で野菜を物色し、ホテルへ向かう。雨は降っていないが、雨予報。いつもことながら、どうして申込みしちゃったかなぁ、と後悔しつつ、会場入り。すでに、トランジットのバイクはいっぱい。隣は去年、年代2位だったしーちゃん。今は駒ヶ根で夫と暮らしている長野県民。この大会は長野県の強豪が多い。右隣は総合3位だった選手権の女性。なんと、名前入りのジャパンジャージ。これ、テレビで見るやつ。スイムアップまで、みんなであれやこれやと話をし、スタートまでもずっと話をしていた。いよいよ、スタート。いつものおじさんの掛け声と、デンジャラス・ノッチの掛け声で、冷たい湖を泳ぎだす。水温22度。後半はいつも手先が痺れるほど冷たい。三角形のコースを、バトルもあまりなく泳ぎ、バイクへ。いきなり登りになる難コースを3周。今年はめずらしく雨がないので、いつもより声援が多い。3周を終え、バイクフィニッシュのラインで止まると、「はい、上手にできました」と言われた。シューズを履きかえて、最後のラン。暑くなく、走りやすいが、いつものことながら苦しい。名前で呼んでくれる声援に手をあげて答えながら、なんとか走る。心臓が飛び出るかと思うほどの登りは、今年も歩き、ドーム型の陸橋も転ばないように登り降り、ようやく折り返し。何人もとハイタッチをして、あと○km、あと○kmと数えながら、最後の直線。最後だけ、サングラスを外して、思いっきり笑顔でゴールした。しーちゃん、選手権のNさんに、「来年も来るでしょ」と約束させられ、8度目の大会も無事終了。

雨の日曜日

日曜日がまた雨。毎週、週末が雨だとなんだか損をしたような気になる。朝、起きても雨が降っているので、ロード練にも出かけられず、朝ご飯を食べてから、映画を見る。天気予報をいくつかザッピングして、昼頃一旦止むらしい、と突き止める。昼前から、支度をして出かける。走ってみると、雨は降っていた。最短コースかなぁ、といつもの尾根幹を走り、どこで戻ろうか考える。雨は強くなるでもなく、かといって止むでもなく。連光寺坂を上り、坂上までやってきて、若葉台へ降り、もう少し、もう少し、と23kmの折り返しで戻ることにした。寒くはなく、暑くもなく。天気が悪いので、車も少なく。それでも、二件、交通事故車を見かける。暑くないので、上りもとても楽。世田谷通りに出たら、雨が少し強くなってきた。急いで戻り、最短コースの45km。あんまり走っていないのに、眠たくなって、デーゲームを見ながら昼寝。夕方から、ジムのプールで1500m。帰り道、ボルダリングジム、セルの前でサトコちゃんに呼び止められる。彼女は、チトフナのルネサンスが閉館になってから、ボルダリング一筋になっている。今では、週末は登山か壁を上っている。立派な山オンナ。肩はバリバリだった。

6月の仙川

梅雨の真っ只中。朝から雨が降っていて、昼までに止むというので、自転車はやめにして、午後からランへ出かけることにした。なので、久しぶりにゆっくりとビデオを見る。どこを走ろうかとさんざん迷った挙句、冬以来走っていない仙川へ行くことにした。1年前までは、週に何度も走っていた仙川。今年の桜の時期も行っていない。水道道路から、いつものように遊歩道を行くと、新緑がきれい。この時期特有の草の匂いがする。この匂いがすると、プール開きを思い出す。川には鴨もいて、撮影している人もいる。ただ人通りもあまりなく、やっぱり走りやすい。祖師谷公園で水を飲み、さらに北上。涼しいけれど、湿気があるので、少し走れば汗が出て、楽ではない。甲州街道手前の小学校で折り返し。帰りの水道道路で水を買って、飲んで、体にかけて、もう一息。15kmラン、ウエアは搾れるほどにぐっしょりだった。

5月の尾根幹

5月は自転車に乗るのに一番いい季節。陽射しは強くても湿度はなくて、爽やかな風が吹く。新緑の緑が美しく、新芽の匂いも香る。そんな5月ももうすぐ終わる。2週間ぶりの尾根幹、北野街道を走った。雨予報だった日曜日も、晴天の良いお天気。まったく、糸魚川の時といい、天気予報はまったく当たらない。日焼け止めがいるほどよく晴れて、それでも、木陰の多い尾根幹は、本当に気持ちがいい。いつもの上りも、心なしか楽に登れる。アップ&ダウンをこなしながら、北野街道から町田街道へ。車も少なく、走りやすい。休憩、寄り道をしないで帰り、野球を見たのちに、夕方は緑道のラン。明るいうちに走るのも久しぶり。ゆるゆると走って、ジムへ戻った。家に戻って、久しぶりにローストビーフを焼く。ソースは玉ねぎベースのバルサミコ酢、おろし醤油、わさび醤油の3種。やっぱりお肉は美味しい。

雨の304km

一年前、あれだけ寒い向かい風の難レースだったので、今年は走りやすいのかなぁ、なんて天気予報もいいように解釈していたのに。これまで14回の参加で、もっとも過酷な300kmになろうとは。この時期、大相撲夏場所が行われていて、去年部屋で見たのは、ドヤ顔の稀勢の里の顔だったが、今年は逸ノ城が4敗目を喫した一番を見た頃、全員がホテルに集まった。明日の今頃は、もう部屋に着いているんだね、なんて不安まじりの顔で言う。何度走っていても、今年も走れる保証はどこにもない。食事を済ませ、夜10時に就寝。今年はめずらしく、たっぷり4時間眠れた。支度をして外に出ると、あれ寒くない。スタート地点では、一年ぶりの顔、顔、顔。もろもろ挨拶を済ませて、スタートを待つ。3人で3時半に出るが、25km地点まで、この3人のパックで走った。甲州街道合流の手前で、7分前に出走した絹ちゃんに追いつく。5時過ぎから雨、しかもどんどんひどくなる。時折、今年はチームサポートにまわった伊東くん、浜中くんの車がやってきては応援してくれる。第1CPは7時到着。雨は土砂降りで、エイドでもらったゼリーをコンビニの軒先でほおばっていた。すると、伊東くんが自分のパーカを持ってきてくれて、「着たほうがいいよ」と渡してくれた。ここでカッパを買っている人も多かった。雨は昼まで降っているとのこと。昼まで、あと5時間もある。塔の原を直進して、しばらく川沿いを直進、このあたりで坂バカトレインの後ろに付いて連れて行ってもらう。第2CP大岡エイド到着、トレインの中にいた金子宏樹が「やっぱり、ゆきえさんだ。走り方見て、そうかと思った」なんて言うので、「わかったなら、声掛けてよ」と二人でいなり寿司つまみながら話す。ここからは、飯綱高原の山岳区間。またまた絹ちゃんと二人で走り、激坂は選ばずに、正規ルートへ。フルーツラインに入ると、また一人旅。去年は伊東くんと登った飯綱高原、やはり長い。第3CP手前で、また絹ちゃんが追いついてきて、二人でエイド到着。ようやく雨があがったと思ったのもつかの間、ここから濃い霧に悩まされる。視界5mほどで、対向車のライトがやっと見えるくらい。それでも、去年飛ばした下り坂を、気をつけて踏んでいく。車道の割れ目にはまりそうでこわい。しかも、雨がまた降ってきて、相当寒い。手足がかじかんで、痺れてきた。8号線の海岸線に出ると、それでもまだ50km近くある。しかも、妙高の下りから、ずっと一人。この海岸線が、一人では相当堪えた。どんどんスピードが遅くなる。腰が痛く、何か食べたいけど、止まるのもいやだ。トップチューブのバッグに入ってるパンさえも取れない。残り、30km。ヘロヘロになって走っていたら、まるでスーパーマンのように、後方から男性二人を引き連れた絹ちゃんが、まさに「付いておいで」と言わんばかりにやってきた。4人のトレインで、前方のアスペンのお兄さん一人を巻き込んで、5人でまわす。私はまったく前には出られず、付いていくだけ。148号への曲がり角までが長かった。ようやく、左折。「結局、最後まで雨でしたね」と私の後方の人が言う。私は伊東くんのパーカを210km着たままだった。何度も、いろいろな人のトレインに混ぜてもらい、伊東くんにもパーカを借りて、絹ちゃんにも引いてもらって、ようやくたどり着いたゴール。もう漕がなくていいのはうれしかったけど、とにかく全身が痛かった。13時間13分は、奇しくも去年と同タイム。

服部牧場のジェラート

土曜日の夜、前日に預けてあったロードを引き取りに三鷹に寄り、糸魚川前の日曜日、GW中の4日前にも行った半原~オギノパン経由のコース。半原の集落まで下りずに、そのまま相模湖をめざして登って行く。途中に服部牧場、ジェラートの看板があって、私を追い越していったおじさんはジェラートを食べに行ったのだけど、それをパスすると、まだまだ九十九折の上りが続く。もう上りも飽きたなあ、と行くと、ようやくオギノパンの広い敷地が見える。沢山の車、オートバイ、ロード。みんなパンを求めて登ってくる。ここも通り過ぎて、串川橋までダウンヒル。そろそろお腹が空いてきたんだけど、何を食べるか決めていない。小倉橋で相模川を渡り、しばらくすると橋本に出る。ここから町田街道に入れば、残り30kmちょっと。前日に母と買い物に来たアリオを過ぎて、町田街道に入ると、さっきまで追い風だった風がとたんに向かい風に。首と肩が痛い。馬駈の交差点にあるサーティーワンで休憩、と中に入るが、キャンペーン最終日で激混み。お水だけもらって、早々に退散。仕方なく、今日もノー補給のまま、95km終了。次は絶対に、服部牧場でおいしいジェラートを食べようと決めた。

半原

東京→糸魚川ファストランまで一ヶ月を切った。4月は唯一乗れる日曜日が雨続き、イベント続きで、今週ようやく100kmを走ることができた。GWで集中して走らねば。先週は野猿峠コースの80kmで、今年初の宮が瀬経由半原方面。新緑がきれいで、晴れていても暑くはなく、気持ちのいい一日だったが、とにかく上りが大変。ローディに何人か抜かれ、まったく追いつけない。上りのきついコースに来ると、その差は歴然。こんなんで、304km走れるのだろうか、と不安になる。おまけに、この日は風が強く、かなり体力も消耗した。お昼過ぎに帰宅、シャワーを浴びてご飯を食べ、寝転がって起きようとした時に、両腿が攣った。痛くて痛くて、ようやくおさまった頃、ストレッチをしようと伸ばすと、今度はハムストリングを強烈に攣り、しばらくおとなしくてしていたが、その後、もう一度大腿二頭筋を攣り、この日だけで3回。太腿を攣ったのは人生初で、かなり消耗したのだと、と実感。やれやれ。夕方、ランニングは自粛して、お風呂だけにジムへ。露天風呂で、今期のドラマ評などを3人で話して、1時間後に帰宅。どうにも疲れていて、10時就寝。大丈夫だろうか。

イングリッシュ・ペイシェント

咳き込んでいるうちに、スタッフとして5年目の東京マラソンも終わり、気がつけば板橋シティマラソンまで3週間となっていた。何がなんでも30km走をしないといけないのに、走れる日曜日は朝から雨予報。朝のうちはにわか雨と信じて起床。まだ降っていなかったので、フード付きのウインドブレーカーを着て走り始める。雨の野川は寂しいので、目黒川沿いのコースにした。1時間半で折り返す予定で行くが、9時半のスタート直後で雨はパラついていた。246号線を大橋で渡ると、目黒川に入る。雨模様なので、人も少ない。中目黒、目黒と過ぎて、五反田と進む。御殿山のタワーを越えて、品川の新幹線の線路も越える。第一京浜の表示が見える頃、ようやく1時間半になった。雨は本降り。飲み物を買って少し飲む。フードを被って、ここからあと半分、電車に乗らずにたどり着けるか。雨粒は大きくはなかったが、手袋が濡れて手が冷たい。目黒に着いた頃、また咳込んで、肺が苦しくなった。また少し飲んで、歩く。246を渡ると、さて帰り道、と気力が戻る。肋間神経痛が痛むので、時々歩く。なんとか3時間10分で帰宅。シャワーを浴びると、手がじんじんと痺れて、太腿は真っ赤になった。雨はどんどんひどくなって、午後はソファに寝転んで、撮りだめた映画を見る。「イングリッシュ・ペイシェント」、アカデミー賞を9部門で受賞した18年前のイギリス映画。複葉機に乗っている女性、金色に輝く砂漠の風景、そして撃墜される飛行機、オープニングの映像のさまざまな謎が、ラストで漸く明らかにされる。「英国の患者」がなぜ、一冊の本を大事に持っていたのか。なぜ、女性と複葉機に乗っていたのか。悲恋の結末、戦争、スパイ疑惑、砂漠を舞台にして壮大なスケール。クリスティン・スコット・トーマスが美しい。

そして父になる

先週日曜日に引いた風邪が、段々と咳き込むことがひどくなり、週末はとうとう外出できず。二日間とも、まったく外に出ないまま過ごした。咳き込んで、横隔膜が痛い。年明けにCSチューナーが新しくなり、HDをつなげてBS、CSの録画ができるようになったので、番組表を見ながら、片っ端から録画予約をしていた映画を立て続けに見た。最後の5本目に見たのは是枝裕和監督「そして父になる」。家族、夫婦ものでは「歩いても歩いても」「ぐるりのこと。」が印象にある。何気ないせりふにリアリティがあって、まるでドキュメンタリーフィルムのような感じさえする。「ぐるりのこと。」で精神の病を得た妻を支えた夫を演じたリリー・フランキーと福山雅治。この二人が父親役。そして、産院での乳児取り違え事件によって、まさに「父になる」のは福山雅治だった。子供の自然な演技はさることながら、電気店夫婦のリリー、真木よう子は本当の夫婦のようだし、エリート夫を持つ専業主婦を演じた尾野真知子も我慢が当たり前の専業主婦がはまり役。自らも実父との確執を抱えながら、結局はその父の「血が大事だ」の一言で、実子を交換する。それが間違いであったことに気付く時、「父になる」ことができたのかどうか。「歩いても歩いても」も阿部寛、原田芳雄親子の話が軸になっていた。すごく泣いた、という感想が多かったが、涙腺がゆるむことは最後までなかった。

2015年幕開け

2015年の幕開け。年末から日本列島は大寒波で、関東地方もものすごい寒さだった。元旦の昼間から雪化粧になったなんて、記憶にない。箱根駅伝もさぞかし寒いかと思いきや、横浜子安の国道15号は、風もなく穏やかで、例年よりも寒さを感じなかった。時間が迫ってくると、沿道の人はどんどん増えて、今年は一眼レフを構える年輩カメラマンが多かった。箱根駅伝は年々国民行事らしくなっている。圧倒的な強さだった青山学院は後続に10分半の大差をつけて、堂々と走り過ぎた。どの監督も、最終区間手前5kmは声もなく静かで、駒沢大学大八木監督さえ、声を聞いたことがない。21人の選手は誰もがかっこよく、気高く、輝いて見える。降っている読売新聞の旗が選手の顔に届きそうなくらいの距離で走ってくるので、その表情もよく見える。大学陸上競技のトップランナー達は、呼吸も静かで、美しい筋肉の足で時速20km超で走り去っていく。選手達に元気をもらって、一年が始まった。