20年目の佐渡

今年も暑い夏が来て、しかも殊の外高湿度の厳しい夏だった。こんなに自転車に乗らなかった夏もなかった。しかも、6月にランの練習中に鵞足炎になって、7月の皆生もラン前にリタイア、そして20回目の佐渡も、ランの第一エイドでリタイアした。バイクまでは楽しかったのに、走り出すと右膝が痛み、それをかばっていたのか左太ももはこむら返り手前。3kmまでのエイドを半分歩いて、ジ・エンドだった。今年のトライアスロンは怪我のために記録なし。海は荒れて、バイクは向かい風がきつく、ランは暑かった。いつもの佐渡が、今年はちょっと厳しかった。七浦荘に着く前、行きのフェリーで選手権の高濱くんからご主人の訃報を聞き、去年に続いて豊ちゃんのいない宿だった。亡くなったのは、4月11日、奇しくも亡き母の誕生日。64歳、あまりに若かった。宿はいつものメンバーで賑やかに、食事の時は隣の席は津軽鉄人会の面々。7月の鯵ヶ沢トライアスロンへ、というゆるい約束をして、今年は散会。

秋の気配

夏休み最後の日曜日はたまライド100K。去年も猛暑だと言っていたけど、短かった今年の夏のほうが、高湿度で厳しかった。涼しい風一つ吹かず、外へ出れば熱波が襲う。8月はバイク練習は一度しか行かなかった。こんな夏もめずらしい。そんな暑さで、参加者もたまライド始まって以来の最低人数を更新。高校生の遼太郎くんと、去年都心を走るTOKYO TRIBE RIDEに参加してくれた山際さん。ガイドと4人でのライドとなった。全員揃ったところで、早目のスタート。ペースも最初から早いので、予約していた昼食も40分前倒し。尾根幹では、アップ&ダウンが連続するが、「一番楽しかった」と遼太郎くんは爆走。最後までペースは落ちず、見事初100kmを完走。山際さんは、都心ライドの後にロードレーサーを購入し、輪行もマスターして参加してくれた。今、すごく楽しい時らしい。来月は富士山ロングライド120kmへ参加するとか。「面白いガイドさんですごく楽しかったです。必ずリピートします」と、大好評で終了。

秋よ来い

今年の暑さは少しおかしい。気温もさることながら、湿度が高いので、熱波のような暑さだ。外へ出ようとドアを開けると、近くで火事でも起きているんじゃないかと思うくらいの熱波が襲う。もう2ヶ月、外を走っていない。この間の日曜日は、バイクへ行くつもりで起きてみたものの、暑さにゲンナリとし、ジムの室内トレーニングに切り替えた。トレッドミルとエアロバイクをやろうと、まず走り出してみたものの、どうにも辛く、25分で予約してあったバイクへ。自転車なら大丈夫だろうと漕ぎ出すが、これが100W×90回転でも辛くて仕方がない。80Wに落として、どうにか30分漕いだものの、倒れるんじゃないか、というくらいにフラフラだった。ストレッチマットでしばし休憩。室内でもダメだった。自転車で帰るので外に出ると、日差しが容赦なく照り付けて、やっとの思いでたどり着き、遅いお昼をそばを茹でてもりそばで食べた。この夏、一番の暑さだったような気がする。いつまで暑いのか、そろそろ限界。金曜日の暑気払いで、唯一涼しげだった冷製パスタ。食べなかったけど、きれいだったので。

猛暑の中にも秋の気配

猛暑が続いて2週間、そろそろ飽きてきた。しかも、今年の暑さは「ムッ」と暑い。外へ出ようとして、ドアを開けた途端、「ムッ」と熱気が襲う。朝、ベランダで洗濯物を干しただけで、汗だく。冷房をしている室内で、食事の支度をしただけでも汗だく。そんなお盆前の山の日振替休日、8月に入って初めてバイク練へ。どこを走ろうかと、走り始めて考えたが、道路も混んでいそうなので、国道246号や尾根幹は避けて、いつもの多摩川沿いで北上。新奥多摩街道に出て、さてどこで左折か、と曲がったことのない拝島橋へ。朝方の雨で、風に当たる風は涼しい。16号線のバイパス沿いを歩道で登りながら、やがて見覚えのある左入町。たまライド50Kのコースで通ったところ。勝手知ったる道を進み、モノレール下へ出る。そろそろマグボトルの水がなくなってきたので、コンビニ休憩。まだ50km走っていないけれど、このまま戻る。インナーに入れるほどの登り坂はなかったものの、少しの登りでもヘロヘロ。それでも、そろそろ夏は終わり、を感じさせた。

 

夏・京都西大文字町

車が新しくなって、かれこれ20日。ずっと気になっていた、一年半前に亡くなったピエールのお墓参り。ちょうど、一年前に母の納骨があって、私も一区切りだったので、佐渡前の時間のある8月に車で行ってみることにした。春からいろいろ考えていて、新幹線で輪行、という案もあったけど、この暑さで自転車と荷物を持っての乗り降りはどうも考えにくい。距離は440km、一日で往復は無理なので、まず宿を予約して、同行者を探すことにした。毎年、誕生日の頃に大学の同級生、ターコが電話をくれて、近況をお互い話すのだけど、大阪の両親の介護もあって、春から兵庫県三田市に移ったということ。ちょっと三田までは行けないなぁ、京都も遠いよね、なんて話をしていたところだった。とりあえず、メールで京都行きのことを報告したら、翌朝電話があって、ちょうどその前日に娘が活動するヤクザル調査隊なる、屋久島のチンパンジーを研究する京大のグループの講演会があって、夫と行くのだという。5日は関学教授の夫は東京に学会で出かけるので、時間つぶしをしているというのだ。ピエールのお導きか、とんとん拍子に話は進んで、夕方、琵琶湖のホテルで落ち合うことになった。まずは、京都まで車で行って、お寺をみつけてお墓参り、そして琵琶湖のホテル最寄駅にターコを迎えに行き、ホテルへ。一日のミッションが盛り沢山だ。家族にも休み休み行くように言われていたのだけど、とにかく暑いので、SAで降りて歩くのも大変。中間地点の浜松SAでおにぎりを食べて、休憩はそれだけ。お寺をみつけるのに、道がどんどん狭くなってこわいので、車を停めて水を撒いていたご婦人に場所を聞く。「あそこかなぁ、一緒に行きましょか」と向かいに住んでいる大学生の孫にも場所を聞いてくれて、二人でお寺までトボトボ。そのお寺の奥さんは、犬の散歩で顔見知りだとわかった。三人でお墓参り。その後、「お茶でもあがっていってください」と冷茶とお菓子を出してくださって、少しお話をする。なんとも、親切なご婦人たちであった。丁寧に御礼を言って、私はすぐに高速に乗って、最寄駅へ。なんとかターコと落ち合って、ホテルでは20年ぶりぐらいの、積る話を夜中までしていた。朝、琵琶湖を散歩して、また来年琵琶湖で会おうね、と約束した。

梅雨明け前日のたまライド

先月も一年前も、雨、台風の予報で前日まで実施を見合わせていた。今月も、木曜日になって台風発生。関東接近とあって、降水確率とにらめっこ。前日、ルートが少し逸れて北へ向かうという予報で、実施を決定。日曜日の朝、まだ雨は残っていたものの、8時前にはあがって、やがて予報と大きく外れて、ピーカンの天気になった。風がなく、湿度は高いので、暑さが余計に堪える。最後の休憩のコンビニでは、参加者はみな真っ赤な顔をして、アイスキャンディを頬張っていた。強い西日に向かって、ひたすら走る。こんな時はいつもの向かい風も恋しくなる。無風の西日は、どうにも暑い。ようやくゴールとなって、みなほっとした表情で、「完走できてよかった」。私は、大きく遅れた女性2人を、ほぼ50km先導し、信号待ちで後ろを待つのが辛かった。走っていないと、どうにも暑い。

東京五輪テストレース

ロードコースのテストレースは、自転車好きの間にはFBなどで知らされ、どこで見ようか、とそれぞれが思っていたはずだ。いつも走っている尾根幹がコースになっていることもあり、橋本まで出れば、413号から道志みちをめざすのもいい。実際、道志みちや山伏峠で観戦した人も多かったようだ。私はというと、家を出たのは11時過ぎで、武蔵野の森公園はスタートが12時、是政橋まではパレード走行で、そこまでが10kmということなので、迷わず是政橋をめざした。そんなに人はいないだろうと、高をくくっていたのに、いつもは人のいない是政橋には、びっしりと人の列。交通規制はまだ行われていないようだった。そこで、そのまま川崎街道を渡ると、ここは規制となって歩道を行くことを指示される。この連光寺へと行く多摩南野駅前もすごい人。コースはここから登り坂となる。てくてくと登っていくと、それはすごい人の数で、あまり通過までに時間もなさそうなので、空いたスペースに自転車を停め、場所を確保した。中央分離帯にはフェンスがおかれ、そこにも人がいる。12時21分、何台もの審判カー、チームカーが通過後、選手一団がやってくる。動画を撮っていたけれど、時間にして20秒、観戦は終了。みんな、ぞろぞろと歩き出す。一人、自転車が車道を走っていったので、私もその人に続いた。すると、後ろからパトカーが、「自転車の方、気を付けてください。この車を持って、規制解除とします」と、パトカーに続いて、まだまだ規制の続く尾根幹へ向かった。

9年ぶりの皆生トライアスロン

トライアスロンは、今年で20年になるので、皆生トライアスロンに出たのは、丁度10年経った頃、五島アイアンマン・ジャパンに出た翌年だったと記憶している。当時まだ月刊誌だったトライアスロン・ジャパンに、毎年皆生のバイクコースが、ジェットコースターとして紹介され、「灼熱の皆生」の名を欲しいままにしていた。たった一人で申込み、宿は皆生つるやに指定された。大きな部屋に女性4人部屋で、そこから6年間、部屋仲間で毎年皆生で会うようになった。最後に出たのは、30回記念大会で、来年は40回大会らしいので、かれこれ10年が経っている。今年は皆生つるやで申込みをしたものの、満員で申し込めず、前日の土曜日、一言挨拶を、とフロントで女将を呼んでもらった。ハガキで参加を知らせていたので、「どうして(リストに)名前がないのかと思った。ハガキ書こうと思ってたのよ」と、手を取って離さない。お茶でも飲んで行って、と同行の友達も呼んで、しばしコーヒータイムとなる。つるやは、女将のお母さん、大女将が皆生温泉女将連合会の会長だった人で、今も健在。女将の娘さんも、現在女将修行中だという。10年前は、中山のエイドでボランティアもしてくれていた。懐かしさでいっぱいのひとときを過ごして、「絶対に入っていってね」と二日分の温泉入浴券と、レース当日食べるように梅干しのお菓子まで持たせてくれた。皆生の人の温かさが、皆生トライアスロンの魅力でもある。