ここのところ、毎日がゲリラ豪雨への警戒。世田谷でも100棟の浸水があってから、他人事とは思えなくなってきた。出した洗濯物は洗い直しになるし、とにかく、あっという間に側溝が水で溢れる。土曜日は、朝から東北、関東に大雨警報、とテロップが出ていて、晴れてはいるものの、いつ降るか、と自宅待機の状態だった。しかも、ものすごい蒸し暑さだった。室内で冷房を掛けていても、汗がだらだらと出る。一応、走るウエアは着て、洗濯したり、掃除をしたりして待機していたが、結局、出ず仕舞い。夕方、ウトウトと昼寝をして、6時過ぎにジムに出かけ、トレッドミルで走った。雨は8時過ぎから。隅田川花火大会も中止になった。翌日、この日も夕方は雨、という予報だったが、早めにバイク練習に出かける。連光寺~尾根幹~野猿街道~北野街道、そのまま町田街道が70kmコースだが、この日は鑓水から柚木へ行き、尾根幹に戻ってくるコース。渋滞の町田街道を避けて、尾根幹をノンストップで走る。3時間少しで戻り、洗濯をして、そのまま夕方スイムのつもりが、ユミさんに走りますか?メールをすると、「混んでいるかもしれないので、シューズ持っていきます」と外ランの誘いもあったので、5時過ぎから仙川へ。しゃべりながらの13kmランを終えて、充実の日曜日が終了。夜は、タイラー・ハミルトン「シークレット・レース」を読む。
ベンチプレス世田谷大会
スポーツクラブのフリーウエイトコーナーでは、いつも石渡先生が門下生を指導している。クラブではなく、あくまでも自主トレ。そういう人達が何人もいて、マリアさんも美樹ちゃんも、その中のメンバー。大会が農大の道場であるというので、最近ロッカーで話すようになった奥様と二人で、日曜日の朝、農大の体育会合宿所近くの門をくぐる。アパートみたいな合宿所には、ユニフォームが干してあり、男の子が歩いてくる。「こんにちは」と言うので、「あの、道場はどこですか」「道場は、あっちです」と指さす方向には、立派な鉄筋の校舎があった。そこの3階でベンチプレス世田谷大会が行われていた。狭い教室みたいなところに、見ればほとんどスポーツクラブの人達が。重量の札を入れ替えしているのはワコちゃんだし、掲示の記録してるのはキクちゃんだった。この頃、先生の教えを受けているというユキちゃんは、「でも、52kg級だと、美樹ちゃんとぶつかるのよ」と言うので、「じゃあ、5kg太って、57kg級にしたら」と言っておいた。大会は上げるウエイトの軽い順に、3回試技を行う。審判は3人いて、2人以上の白旗が上がればクリア。マリアさんも美樹ちゃんも、体重別の参加は一人だけなので、二人とも金メダルだった。参加者のほとんどは、スポーツクラブの人たちで、揃いのTシャツにベルトを巻き、マリアさんも美樹ちゃんも、堂々として、なんかカッコいい。最後まで見ずに、私たちはスタバでお茶をしに出てしまった。その後、1時半から、私はバイクジャージに着替えて、小野路~尾根幹ルートの練習に出かけた。劇坂ばかりだったけど、ものすごく面白かった。
猛暑ふたたび
野尻湖に行っている間に、関東地方は梅雨明けし、記録的な猛暑へと突入した。一週間前に、信濃町でレースをしていたのがウソのようだ。少し歩いているだけで、クラクラする。こんな猛暑の中のレースでなくて、本当によかった。部屋の中も、冷房をかけていても暑いので、冷房の真下にクッションを置き、寝っころがって、遠くのテレビでやっているツール・ド・フランスを見ている。遠くの画面なので、レースも遠巻きに見ている感じで、「フルーム、頑張ってるなぁ」なんて、まるで気が入っていないのだ。そのツールも、いよいよラルプ・デュエズに突入で、そんな大事な局面で、すでにトップは4分半のアドバンテージを持っていて、盤石の展開。海の日の三連休も、東京は暑かった。初日の土曜日は、野尻湖の賞状と賞品が届き、今年も3位のご褒美つき。夕方やっとジムへ行き、おしゃべりしながらのトレッドミルだけ。祝日の月曜日、この日は曇りで「暑さは和らぎます」と天気予報ではさんざん言っていたのに、バイク練に出かけたら、途中から気分が悪くなるほどの暑さで、仕舞には手先が痺れてきた。水分補給もしたつもりだったが、帰り道は辛くて辛くて、やっとの思いで80km終了。氷をいっぱい入れたコーラをがぶ飲みしたが、空腹感は全然なく、横になったまま夕方まで休息。7月半ばで、早くも熱中症なのだった。グローブもしていたのに、左手中指がパックリと切れていたり、なんだか暑いと訳がわからない。どこかの町内放送で、「決して、外に出ないでください。運動はやめてください」と連呼していたとか。この日、東京は35.4度。
野尻湖カップジャパンオープン
昨年に続き、野尻湖トライアスロンに行ってきた。土曜日の朝、車に自転車と荷物のバッグを詰め込んで、関越から上信越道で信州信濃町をめざす。距離は280km、ナビで到着時間をみると、4時間半。天気予報では、新潟は昼から雨になっている。いちおう、長野県ではあるけれど、位置的には限りなく新潟に近い。予定どおり、野尻湖に着き、近くの手打ちそばの店で昼ごはん。蕎麦の香り豊かな手打ちそばをいただく。その後、勝手しったる野尻湖へ向かい、受付場所の野尻湖小学校へ。バイクとヘルメットをチェックし、その場でゼッケンを貼る。エントリー完了。今年は宿泊先をホテルにしたので、バイクコースになっている周遊道路を上っていく。延々と4km行くと、木立ちの中に、リゾート風の素敵な建物があった。客室の全面が湖面に面した、一面のガラス窓。湖を見ながら、準備。予報では、新潟県は雨。朝、出発する時はまだ曇り空だったものの、スイム開始頃から雨が降り出した。バイクでは、かなりの雨。去年も雨だったなあ、と山道へ向かう。路面が濡れているので、走る度に泥だらけになる。しかも、コースは上っているか、下っているかなので、下りは滑らないか不安。いつもより減速気味になる。しかし、きついコースである。上り、カーブ、下り、カーブ、の繰り返し。ようやく終わってランに移る。今年から11kmに短縮になり、それは良かったのだが、でもきつい。湖畔の道に入り、砂間館のおばさんに挨拶。ここから、延々と山道を上る。長い長い上り。一度下って、また登って、下って、というコース。折り返しなので、行も帰りも選手同士、声を掛けあいながら、時折ハイタッチする。MTBでオリンピックに出場し、今はショップ店主の鈴木雷太くんとハイタッチ、知らない若い男子ともハイタッチ、今年はかなり苦しそうなノッチには、「ノッチ、ファイト!」と声を掛けると、辛そうな顔で片手をあげた。ラストの1kmが、どうにもこうにも長い。なんとか抜かれずに、ゴール。見れば、足は全部が泥だらけ、バイクも見るも無残に泥だらけだった。車に積む前にボトルの水で、少し洗車。1時過ぎ、まだゴールする人もいたけれど、早々に高速に乗る。すぐに、前が見えないくらいの豪雨になった。
100回目のツール・ド・フランス
いつもの尾根幹ロードを終えて帰ってくると、CSでツール・ド・フランスの番組をやっていた。今年で100回大会となることから、記念番組として、過去の歴史にふれた海外テレビ番組を流していた。ちょうど私が見たところは、1967年のレース。ガリビエ峠も、モンバントゥーももちろん未舗装路。体操着みたいな服装の選手が、ガシガシ山道を上っていた。ファウスト・コッピは41歳でマラリアで死亡していたり、その当時から薬物の影響が取り沙汰されていた。やがて、エディ・メルクスが彗星のように登場して、5連覇を成し遂げるものの、このベルギー人はフランスではまったく人気がなかったようだ。フェスティナ事件のビランク、今やタイトルを剥奪されたランス・アームストロングと、よくよく考えてみれば、これはドーピングに関してまとめた番組だったのかもしれない。ツールで5度、ジロで3度優勝しているベルナール・イノーについてもさらりと触れただけだったし、グレッグ・レモンとの確執も、イノーの人間性を揶揄していた。こういう取り上げ方はBBCのドキュメンタリー番組に多いけど。私もツールを見始めてから、27年くらいになる。27年といっても、J sportsで放送されるまでは、NHKの1時間番組で見る程度。まさか、生放送でツールを見られるようになるなんて、当時は思ってもみなかった。