糸魚川が終わった後、一週間ぐらいは昼間でも眠くて、お腹がいつも空いている。早い話、ほとんど仕事にはなっていない。時々、他の人のブログ報告を眺めては、「そうだったよねぇ」「おかしい、この人」なんて、参加した者でなければわからない「あるある」を楽しんでいる。新しいルートになって、曲がり角のポイントを地図に作ってポケットに入れて走っていた。信号待ちの時に取り出して見たりするが、これがなかなか面倒。昨今は、スマホのナビ頼りに走っている人もいて、これも便利だけれど、バッテリー切れという憂き目にも合う。なにせ、13時間以上だから、ずっとGPSを起動しておいたら、もつわけがない。と、車の時にスマホナビを使っている私は思う。そうなると、紙の地図以上に使いものにならない。前の人についていったら、その人も間違えて、結局正規ルートから外れてしまった、という人もいたらしい。今回、長野市街で距離が短縮になるという激坂ルートを行ってみたが、これが話以上の激坂で、3人で行ったものの、一人が大きく遅れ、分岐で10分以上待つ始末。正規ルートのアップルラインに出たら、「激坂はいやです」と正規ルートのまま走った人たちとバッチリと遭遇。距離短縮は、まったく時間短縮とはなっていなかったというオチがついていた。翌日の朝、糸魚川駅で輪行していたら、激坂でスイスイと抜いて行き、「これ、近道なわけ?」なんて話をしたトライアスリートのニセ宮塚は総合15位、「俺、他の区間は20位ぐらいなのに、あそこだけ30位」と笑っていた。やっぱり、時間短縮作戦は裏目に出たようなのであった。
糸魚川304km
今年も5月の自転車イベント、東京-糸魚川クラシックに参加した。山梨市のスタートとなって2年目。スタート地点まで100km以上の距離になり、前日の金曜日はみな休みをとって移動日としている。新宿からかいじ111号に乗り、約2時間。山梨市の駅に着いて、自転車を組み、ホテルへ移動。早めの夕食を済ませて、就寝。といっても、起床が午前1時半なんていう時間なので、当然眠れない。横にはなるけれど、眠ることはできずに、3時7分のスタートを迎えた。最初のスタートが3時ということで、沢山人がいる。去年はなんの間違いか、5時過ぎのスタートで、速い人ばかりの組なので、走っていても人に会わず、エイドも人が少なくて、寂しい一日だった。今年は、知り合いばかりの組でもあり、スタート後、200kmまで複数の人数で走ることになった。20号から19号へ進むが、去年はほとんど向かい風だったのが、今年はなぜか追い風。しかも、車の多い19号も早朝のためにかなり飛ばせる。ストレスなく、安曇野を越え、山間部へ入っていく。信州信濃の緑を眺めながら、大岡のエイドをめざす。時々、他のチームとパックになって、先頭交代しながら飛ばす。今年は走りやすい。大岡のエイドでちょうど半分。エイドでは三奈ちゃんがスタッフをやっていた。いなり寿司とおにぎりを頬張って、出発。ここから、妙高までは上り区間でもある。長い長い上りを過ぎ、三つ目のエイドはセブンイレブン。暑さのためか、みなアイスキャンディを食べている。ここからまだ80kmはある。しばらく上って、妙高から日本海までは飽きるほどの下り。しかも、路面はチェーンでガタガタ。人はいないし、風景は変わらないし、とにかく飽きる。腰も頭も痛くなってきた。海岸線の8号に向かうまでに痛み止めを飲む。信号待ちをしていたら、車の助手席から女性が、「どこまで行くの?」「糸魚川です」「じゃ、うちの近くだ。糸魚川のどこ?」「ホテル~!」なんていう会話を交わす。沿道から何度か声援も送られた。やっと海沿いの8号線に出たが、ここからゴールまでも40km以上ある。でも、この道も今年は追い風基調だった。長い長い海岸線を、行けども行けども糸魚川街道の標識は現れず。いったい何時に到着できるのかなあ、ともはや思考能力の衰えた頭で考える。コンビニの度に男達は吸い込まれて休憩に行く。いくつもの信号を越えて、やっと148号の標識が見えた。あともう少し。ホテルのアーチが見えて、「おかえりなさーい」と出迎えてもらった。やれやれ。今年は去年より50分早い、13時間22分。ゴール近くで座っていた昨年チャンプのひづる様に出迎えられ、「長すぎる!」と言うと、「去年も言ってたよ」。そこから、一年間にあったチャンプの話を聞き、温泉へ。ゴールはいつかやってくる。今年も帰ってこられて、本当によかった。
1週間前
糸魚川前決起集会、2バタ会は、同時に行われていた、どこぞの会社の新人歓迎会の盛り上がりに圧倒されつつ、ヤングがその課の仲の良さに終始羨む展開となり、悪酔いも重なって、私たちはいつもより早めの散会となった。日曜日雨、とさんざん天気予報が言うので、これは土曜日しか走れないな、と無理やり走りに出かけたものの、結果的に日曜日も夜まで降らなかったので、まったく天気予報っていうのは当たったことがない。その土曜日も、朝から風が強く、半原へ行くつもりが、風の強い413号線はいやなので、尾根環~野猿街道へ変更。1週間前の土山峠が効いているのか、なかなか足取りは軽い。まあ、峠道に比べれば、登りは少ないので、休憩なしで4時間で帰宅。行きは強烈な向かい風、帰りは勘違いの強気になれる追い風。この日も大きなクラクションを福岡ナンバーのスポーツカーに鳴らされ、「福岡に帰れ―」とばかりに、追い抜きざまに叫んだが、この狭い町田街道も自転車向きの道路ではない。天気は良さそうなので、電車のチケット予約もしたし、あとはしっかり食べて、ゆっくり眠って、当日を待つのみ。
2週間前
糸魚川まで、あと2週間。107km以上は一日に走っていないので、いつもの沼津300kmをやるべく、ホテルを予約し、やる気満々で帰ってきた金曜日。夜の天気予報で、東京の雨も昼から、静岡は一日中雨、というのを見て、「キャンセルしたほうがいいよ」と、不安げな家人。さすがに、雨の山伏峠はうんざりなので、PCからキャンセルし、日曜日のみの練習になった。土曜日は、朝起きた時にすでに雨降りで、仕方なくBSで昼過ぎまで横浜トライアスロン世界シリーズを見る。昨秋は、ものすごく良い天気の中の開催だったのに、冷たい雨で観客も少ない。それでも、男子は世界レベルが揃って、なかなか面白いレースだった。雨はどんどん強くなって、夕方、カッパを着てジムへ行き、10km走る。翌日曜日は、気持ちの良い晴天。土山峠は20年ぶり、という家人を引き連れて、私は1週間前に走った宮ヶ瀬をめざす。この日は、前回とは違って、行きも追い風、帰りも追い風、という好条件。それでも、久しぶりのロングに、246号から後ろは遅れ気味。時々、待って様子を見ながら峠をめざす。ようやく上り終わって、写真を撮っていると、「いやぁ、きついね」と家人がやってきた。ここから、いつものごとく、412号へ出て、新小倉橋を渡って町田街道へ。トータル、107km。すごく長かったみたいだけど、あと200km走るのだよ、糸魚川は。
土山峠
2日目は宣言どおりの土山峠へ。国道246号を西へ進み、40km行くと妻田の交差点。ここから宮ヶ瀬を目指すと、あたりは一気に里山の風景に変わる。ここは、清川村。東京からわずか50km足らずで、こんな田舎の景色になる。アップ&ダウンを楽しんだあとは、5km上りの土山峠。何度もつづら折りを繰り返すと、宮ヶ瀬湖の真っ青な風景が現れる。その、最後の二折り位のつづら折りに、おじさんが追いついてきて、「どこまで行くの?」と聞く。息も絶え絶えに、「世田谷から来て、ぐるっと回って、世田谷に帰ります」と言うと、「世田谷からじゃ大変だね」なんて、人のことを聞いたのは最初のそれだけで、あとは「どこのチームですか」と聞いた私の問いに、ルート134だとか、62歳だからもう終わりだよとか、60代で今強いのはなるしまのイトウアキラだとか、自分のことだけ話して、頂上で手を振りながら去って行った。最終日は半原まで行ったが、途中の246号市ヶ尾からローディ2人が追い越して、そのまま行くかと思いきや、上りで追いついてしまうぐらい速くないペースだったので、20km位3人で走った。信号の度に先頭のおじさんが、後ろの少し若い男にギアの話をしてる。「27はいらないね」って、上りはきっかり最後の26使ってそれだけ遅いんじゃ、入れたほうがいいんじゃないの、と教えてあげればよかった。
連休開始
2週間続きのイベントがあったので、実に3週間ぶりに80km走ったのが昔の天皇誕生日。そして、3日空けて、いよいよゴールデンウイークの初日。またいつものコースに行くべく、タイヤに空気を入れていると、まったく練習には行く気のない家人が、「熱心だね」と皮肉混じりに言う。「糸魚川舐めてると、えらい目に合うよ」と返し、「走れない日が続くと、走れることがありがたいなあ、と思いながら走るんだよね」と私。「めずらしいよね」と、去年150kmで挫折した元体育会自転車部が言う。どうせ、今年も回収車だろう。去年、結構練習したつもりの私でも、向かい風の中を回し過ぎたのか、200kmからいつもは痛まない膝まで痛くなって、最後はかなりヘロヘロ状態でゴールしたのだった。やっぱり糸魚川はつらいのだ。そして、私はまたラジオのイヤホンを耳に入れ、野猿街道へ向かった。新緑がきれいだ。この頃、走っているのが楽しい。自転車は気持ちがいいなあ、と今更ながら思う。そして、私は一人で走るのが好きだ。いろいろ考えながら、景色を楽しみ、ペダルをこぐ。この時期はおそらく、一年で一番緑がきれいな季節。連休は宮ヶ瀬の土山峠に登れる。