トライアスロンは、今年で20年になるので、皆生トライアスロンに出たのは、丁度10年経った頃、五島アイアンマン・ジャパンに出た翌年だったと記憶している。当時まだ月刊誌だったトライアスロン・ジャパンに、毎年皆生のバイクコースが、ジェットコースターとして紹介され、「灼熱の皆生」の名を欲しいままにしていた。たった一人で申込み、宿は皆生つるやに指定された。大きな部屋に女性4人部屋で、そこから6年間、部屋仲間で毎年皆生で会うようになった。最後に出たのは、30回記念大会で、来年は40回大会らしいので、かれこれ10年が経っている。今年は皆生つるやで申込みをしたものの、満員で申し込めず、前日の土曜日、一言挨拶を、とフロントで女将を呼んでもらった。ハガキで参加を知らせていたので、「どうして(リストに)名前がないのかと思った。ハガキ書こうと思ってたのよ」と、手を取って離さない。お茶でも飲んで行って、と同行の友達も呼んで、しばしコーヒータイムとなる。つるやは、女将のお母さん、大女将が皆生温泉女将連合会の会長だった人で、今も健在。女将の娘さんも、現在女将修行中だという。10年前は、中山のエイドでボランティアもしてくれていた。懐かしさでいっぱいのひとときを過ごして、「絶対に入っていってね」と二日分の温泉入浴券と、レース当日食べるように梅干しのお菓子まで持たせてくれた。皆生の人の温かさが、皆生トライアスロンの魅力でもある。
水の月
6月水無月は、水の月という意味だそうだ。梅雨であり、田植えの時期であり、水の恵みを感じる月という意味があるらしい。そういう月に生まれた私は、ちょうど誕生日がプール開きの翌日で、小学校の頃からプールが大好き。小学校の特別水泳クラブというのに入っていた。何が特別かはわからないが、おそらく屋外プールだったので、夏場の時期だけ、ということだと思う。なので、野球をやっていても、サッカーをやっていても、運動が得意な同級生はみな水泳部に入っていた。顧問は体育の原先生で、一つ下の弟の5、6年の担任だった。平泳ぎのブレスのタイミングを、私は原先生のデッキブラシで頭をコツンと叩かれて覚えた。夏休みの午前中は練習で、午後弟が学年プールに泳ぎに行くと、「コージ、さっき姉ちゃん来てったぞ」なんて言われていたそうだ。そういう小学校の時期を終えて、大人になっても泳ぐのは大好き。そして、トライアスロンも始めた。今年は20年目。冬は生まれて初めて、左腕の筋肉を傷めて、3週間前まで25mも泳げなかった。小嶋トレーナーに鍼、施術をやってもらって、ようやく昨日は1500m泳ぐことができた。小学校2年生の時に、初めて25m泳げた時と同じくらいにうれしかった。来月の皆生はスイムは3km。とても無理だと思っていたけど、ようやく光明が見えてきた。ただ、右膝が痛いけど。
仙川20K
関東地方が梅雨入りして、日曜日も梅雨空。朝から今にも雨が降り出しそうな天気なので、自転車はやめにして、いざ仙川へ。涼しくていいけれど、湿度は高い。なので、少し走っただけでも汗が出る。先週も走った仙川は、この日は体も軽くて走りやすかった。快調に甲州街道まで行き、そこから新川の折り返しをめざすが、なんだか右膝が痛い。帰りはびっこを引きながら、時々歩きを入れながら、ようやく帰ってきた。ラン歴20年、膝が痛んだことはなく、筋肉にも自信があったので、またまた不安が増えた。左上腕はまだ痛く、スイムも不安。年を取ると、あちこち痛くなる。本当に実感する。練習量は減らして(十分減らしてるけど)、体と向き合っていかないと、長くは続けられない。というわけで、夜は筋肉のために焼肉。この日は1人だったので、一人焼肉。
5月・真夏日のたまライド
今年最初のたまライドは、午前中から気温は30℃越え、それでも木陰に入ると風は爽やかで、一人もちぎれることなく、和やかなうちに終了した。若い世代が多かったのと、女性が3人もいたことで、自然と華やいだ雰囲気に。昼食のテーブルでは自転車談義で盛り上がっていた。前半に登りが続くコースは、みな快調に飛ばしていたが、後半は暑さや疲れからペースは落ち気味。先導で飛ばして走っていると、「飛ばし過ぎ」と幹さんに言われた。なぜか終盤元気になるのは、糸魚川と同じ。初めての70kmという人も多く、完走証を渡すと、「達成感がすごくあります」と感想を言ってくれた。往復自走したので、この日の走行距離128km、さすがに疲れて夕食も摂らずに撃沈。
初夏・仙川
気がつけば、5月下旬、季節は夏になろうとしていた。仙川を走ったのは、ちょうど桜が満開の頃だったから、一月以上前。仙川の風景は様変わりしていた。スイカズラが薫り、夏草が生い茂り、新芽の香りが立ち込めている。もうすぐプール開きというこの時期、生まれた頃というのもあって、好きな季節だ。糸魚川から戻って、体は一向に回復しないのだが、ランへ出かけた。足元はNIKEのnewシューズ。見栄えはいいのだが、如何せんエンジンが‥‥。仙川に入って、時々歩きを入れて、また走り。甲州街道は越えられそうもないので、祖師谷公園で折り返し。とにかく、大腿筋、ハム、腰が痛い。年を取ったと思うのは、回復に時間がかかること。毎日、眠くて仕方がない。ランが終わった後も、昼寝をする始末。7月の皆生も決まって、新しいウエットスーツは届いたのに、果たして、2月から痛い左肩で泳げるのだろうか。
糸魚川まで288km
今年は令和になって10連休、その次の土曜日が東京→糸魚川ファストラン、という慌ただしいスケジュール。しかも、連休最初の日曜日の朝、なんだか喉が痛くて、その日から風邪薬を飲み続けるが、1週間は走れず。10日の休みのうち、結局走れたのは4日だけだった。まだ咳も痰も出るし、どうなるんだろう、とスタート地点へ。ここ2年は雨のスタートだったけど、今年は寒くもなく、そして風もなく、この上ない好天だった。道中、1年ぶりのメンバーと挨拶したり、追い抜く時に声を掛けられたり。ようやく明るくなってくるのは、白州あたり。富士見峠を越えて諏訪湖あたりで、卯月夫婦に追いつかれる。4人のパックで第一チェックポイントへ。その後、信州新町大岡エイド、そばパンをいただいて、ここからは長野市へ出て、坂中峠を越えて、妙高へ向かう。妙高でもまだ寒くもなく、残りは90km。冷えたゼリーを1個食べて、橋本さんが、「おいなり、食べてよ」というので1個食べ、あんぱんをポケットに入れて出発。妙高の下りは長いが、今年も向かい風、ということは、海岸線の8号線までも向かい風ということ。50kmは我慢の走り。海岸線に出ると、なぜかスイッチが入り、がんがんと踏める。今年は向かい風ではないようだ。残り40kmは、高回転で踏み続け、あと○km、とサイコンの数字を頼りにゴールをめざす。午後4時45分、ようやくゴールゲートが見えてきた。みんなが出迎えてくれて、3年ぶりにゴールできた。
朝は焚香
春爛漫
春はもうすぐ
紺碧の空
皆生トライアスロンにエントリーをしてしまったので、そうなるとあと4ヶ月でフル走ることになるので、しかもこの日は神宮クリテリウム。早稲田大学の孫崎選手が優勝らしいというので、それでは何年か前にやったラン自走応援ツアーを行うことにした。びわ湖毎日マラソンは録画にして、ジムへ荷物を置きに行く。烏山川緑道を大橋まで出て、そこから246号で渋谷へ。雑居ビル火事で片方の歩道は通行止め。表参道まで来ると、外苑いちょう並木まではもうすぐ。レースは学生の女子が走っていた。ICUのOB安藤くん夫婦とばったり会い、しばしお話。LINE交換して、早稲田応援団探す。国立競技場の辺りで、法政大学が派手に応援。その横の空いたスペースに陣取る。ほどなく、応援団長が拡声器で孫崎選手の当日のジャージの説明を新聞片手に行って、その後も応援を盛り上げるためのしゃべりをずっとしている。「さぁ~、やって来ますよ、それでは紺碧の空~!」ということで、「紺碧の空」は3回唄わされ、そういえばこれ唄ったのは、卒業してから行った早慶戦以来だな、とか、応援団副団長だった高橋くんは今どうしてるかな、とか、レースも迫力満点で、面白かった。20周見届けて、その後表彰式見ようと絵画館前に行くと、今度は卓磨が現れて、転職の話とか、明治大学の話。中野くんもやってきて、結局明治大学の円陣に加わされて、校歌を唄わされる。歌詞、知らないし。その後、参宮橋まで走って、電車に乗ってジムへ戻って、筋トレ&ストレッチ。長い一日だった。写真の前から四番目が、優勝した孫崎選手。走る姿が、ほんとにかっこいい。