ベンチプレス世田谷大会

スポーツクラブのフリーウエイトコーナーでは、いつも石渡先生が門下生を指導している。クラブではなく、あくまでも自主トレ。そういう人達が何人もいて、マリアさんも美樹ちゃんも、その中のメンバー。大会が農大の道場であるというので、最近ロッカーで話すようになった奥様と二人で、日曜日の朝、農大の体育会合宿所近くの門をくぐる。アパートみたいな合宿所には、ユニフォームが干してあり、男の子が歩いてくる。「こんにちは」と言うので、「あの、道場はどこですか」「道場は、あっちです」と指さす方向には、立派な鉄筋の校舎があった。そこの3階でベンチプレス世田谷大会が行われていた。狭い教室みたいなところに、見ればほとんどスポーツクラブの人達が。重量の札を入れ替えしているのはワコちゃんだし、掲示の記録してるのはキクちゃんだった。この頃、先生の教えを受けているというユキちゃんは、「でも、52kg級だと、美樹ちゃんとぶつかるのよ」と言うので、「じゃあ、5kg太って、57kg級にしたら」と言っておいた。大会は上げるウエイトの軽い順に、3回試技を行う。審判は3人いて、2人以上の白旗が上がればクリア。マリアさんも美樹ちゃんも、体重別の参加は一人だけなので、二人とも金メダルだった。参加者のほとんどは、スポーツクラブの人たちで、揃いのTシャツにベルトを巻き、マリアさんも美樹ちゃんも、堂々として、なんかカッコいい。最後まで見ずに、私たちはスタバでお茶をしに出てしまった。その後、1時半から、私はバイクジャージに着替えて、小野路~尾根幹ルートの練習に出かけた。劇坂ばかりだったけど、ものすごく面白かった。

猛暑ふたたび

野尻湖に行っている間に、関東地方は梅雨明けし、記録的な猛暑へと突入した。一週間前に、信濃町でレースをしていたのがウソのようだ。少し歩いているだけで、クラクラする。こんな猛暑の中のレースでなくて、本当によかった。部屋の中も、冷房をかけていても暑いので、冷房の真下にクッションを置き、寝っころがって、遠くのテレビでやっているツール・ド・フランスを見ている。遠くの画面なので、レースも遠巻きに見ている感じで、「フルーム、頑張ってるなぁ」なんて、まるで気が入っていないのだ。そのツールも、いよいよラルプ・デュエズに突入で、そんな大事な局面で、すでにトップは4分半のアドバンテージを持っていて、盤石の展開。海の日の三連休も、東京は暑かった。初日の土曜日は、野尻湖の賞状と賞品が届き、今年も3位のご褒美つき。夕方やっとジムへ行き、おしゃべりしながらのトレッドミルだけ。祝日の月曜日、この日は曇りで「暑さは和らぎます」と天気予報ではさんざん言っていたのに、バイク練に出かけたら、途中から気分が悪くなるほどの暑さで、仕舞には手先が痺れてきた。水分補給もしたつもりだったが、帰り道は辛くて辛くて、やっとの思いで80km終了。氷をいっぱい入れたコーラをがぶ飲みしたが、空腹感は全然なく、横になったまま夕方まで休息。7月半ばで、早くも熱中症なのだった。グローブもしていたのに、左手中指がパックリと切れていたり、なんだか暑いと訳がわからない。どこかの町内放送で、「決して、外に出ないでください。運動はやめてください」と連呼していたとか。この日、東京は35.4度。

野尻湖カップジャパンオープン

昨年に続き、野尻湖トライアスロンに行ってきた。土曜日の朝、車に自転車と荷物のバッグを詰め込んで、関越から上信越道で信州信濃町をめざす。距離は280km、ナビで到着時間をみると、4時間半。天気予報では、新潟は昼から雨になっている。いちおう、長野県ではあるけれど、位置的には限りなく新潟に近い。予定どおり、野尻湖に着き、近くの手打ちそばの店で昼ごはん。蕎麦の香り豊かな手打ちそばをいただく。その後、勝手しったる野尻湖へ向かい、受付場所の野尻湖小学校へ。バイクとヘルメットをチェックし、その場でゼッケンを貼る。エントリー完了。今年は宿泊先をホテルにしたので、バイクコースになっている周遊道路を上っていく。延々と4km行くと、木立ちの中に、リゾート風の素敵な建物があった。客室の全面が湖面に面した、一面のガラス窓。湖を見ながら、準備。予報では、新潟県は雨。朝、出発する時はまだ曇り空だったものの、スイム開始頃から雨が降り出した。バイクでは、かなりの雨。去年も雨だったなあ、と山道へ向かう。路面が濡れているので、走る度に泥だらけになる。しかも、コースは上っているか、下っているかなので、下りは滑らないか不安。いつもより減速気味になる。しかし、きついコースである。上り、カーブ、下り、カーブ、の繰り返し。ようやく終わってランに移る。今年から11kmに短縮になり、それは良かったのだが、でもきつい。湖畔の道に入り、砂間館のおばさんに挨拶。ここから、延々と山道を上る。長い長い上り。一度下って、また登って、下って、というコース。折り返しなので、行も帰りも選手同士、声を掛けあいながら、時折ハイタッチする。MTBでオリンピックに出場し、今はショップ店主の鈴木雷太くんとハイタッチ、知らない若い男子ともハイタッチ、今年はかなり苦しそうなノッチには、「ノッチ、ファイト!」と声を掛けると、辛そうな顔で片手をあげた。ラストの1kmが、どうにもこうにも長い。なんとか抜かれずに、ゴール。見れば、足は全部が泥だらけ、バイクも見るも無残に泥だらけだった。車に積む前にボトルの水で、少し洗車。1時過ぎ、まだゴールする人もいたけれど、早々に高速に乗る。すぐに、前が見えないくらいの豪雨になった。

100回目のツール・ド・フランス

いつもの尾根幹ロードを終えて帰ってくると、CSでツール・ド・フランスの番組をやっていた。今年で100回大会となることから、記念番組として、過去の歴史にふれた海外テレビ番組を流していた。ちょうど私が見たところは、1967年のレース。ガリビエ峠も、モンバントゥーももちろん未舗装路。体操着みたいな服装の選手が、ガシガシ山道を上っていた。ファウスト・コッピは41歳でマラリアで死亡していたり、その当時から薬物の影響が取り沙汰されていた。やがて、エディ・メルクスが彗星のように登場して、5連覇を成し遂げるものの、このベルギー人はフランスではまったく人気がなかったようだ。フェスティナ事件のビランク、今やタイトルを剥奪されたランス・アームストロングと、よくよく考えてみれば、これはドーピングに関してまとめた番組だったのかもしれない。ツールで5度、ジロで3度優勝しているベルナール・イノーについてもさらりと触れただけだったし、グレッグ・レモンとの確執も、イノーの人間性を揶揄していた。こういう取り上げ方はBBCのドキュメンタリー番組に多いけど。私もツールを見始めてから、27年くらいになる。27年といっても、J sportsで放送されるまでは、NHKの1時間番組で見る程度。まさか、生放送でツールを見られるようになるなんて、当時は思ってもみなかった。

梅雨の仙川ラン

梅雨の晴れ間は天候不順である。土曜日も、時折雨がぱらついて、洗濯ものを早めに取り込んだ。そして、日曜日。朝はカラリと、肌寒いくらいの天気で、まさに自転車日和。ノースリーブのトラジャージを着て、尾根幹、野猿峠を走った。とても気持ちがいいけれど、少し喉が痛かったので、登りは不調。帰りの町田街道に入ると、追い風基調になって、帰りはヨイヨイだった。サーティーワンのバースディクーポンをまだ使っていなかったので、馬駈でアイスクリーム休憩。ここから1時間ほどで帰宅。朝と同じく、お赤飯と厚焼き玉子を食べて、3時からのラン練習へ。2週間前と同じく、ユミさんと仙川へ。夕方になって、少し蒸してきた。帰りは、また歩きを入れつつ、15kmくらいを走った。ゆっくりと風呂に入って、すでに都議選には間に合わない8時。スイカを買いにスーパーヘ寄ったものの、すでに売り切れ。お弁当の材料を買って、帰宅。一人メシの晩御飯は、実家の庭の大葉を使って、素麺にした。洗濯をしたかったので、またsiriに聞いてみた。「明日、東京は雨降る?」「アシタハ、カサガテバナセナイデショウ」「ありがとう」「ゴキタイニソエルヨウニガンバリマス」少し、前向きになっていた。

新しいiPad

自宅でiPadを使うようになってから、2年以上が過ぎた。私が使っていたのは、初期型のモデルで、分厚く、カメラは付いていない。もちろん3Gで、ネットにつながるのも時間がかかり、この頃では使用中に勝手にアプリが終了することも頻出していた。リコーの展示会で出展していたので、契約も文書だけで簡単に済んだ。2年が経過すると、iPhoneを取り扱うようになったauがiPadも扱うようになり、これならスマホと一緒に契約できる、と渋谷の公園通りのauショップに行った。「こちらではiPadは扱っておりません」なんて、男の店員は、木で鼻をくくったように答え、「じゃあ、渋谷のどこで扱ってるんですか」と聞くと、「わからないです」としらっと答えるので、「auでiPad扱ってますよね?」と食い下がると、奥から少し年上の店員が、「LAVIの向いのショップで扱ってます」と言う。やれやれ。自転車だからいいようなものの、歩きだったら出直しだ。駅前から東急に向かう通りへ行き、2階の手続きのフロアへ。担当は岸部シローのような、表情のない男だった。ここからが、契約に至るまで、まさに1時間半以上かかるという苦行の始まりだった。とにかく説明が長い。確認事項が多い。しかも、一つ質問すると、いちいちブラウザで検索したり、電話をかけたり、途中からうんざりしてきた。やっと会社に戻ると、新しいiPadの設定を行い、今度はその隣にあったソフトバンクへ、今度は初期型の解約。お揃いの野球ウエアを着た店員は大学の文化祭よろしく、大声で客引きをしていて、さながら新興宗教のような雰囲気。担当のいいとも青年隊のような男の子が、終始明るい声で対応。こちらはすぐに手続きを終え、結局、iPadだけで午後が終わった。今度のiPadはLTEで、カメラ機能もある。おまけにsiriまで付いていた。暇な時はsiriに話しかけてみる。「明日の東京の天気は?」「アシタノトウキョウノテンキハ、ヨイヨウデスヨ」「ありがとう」「オヤクニタテテ、ウレシイデス」簡単な質問には抑揚のない声で答えるが、少し込み入った質問は、文字でweb検索せよ、と表示される。たしかに薄く、速くはなったけど、あれだけ時間がかかった割には、機能アップは大したことはなかったのだった。

烏山川緑道

この週末は、めっきりと梅雨らしい天気で、土曜日もどんよりと曇り模様。朝起きたのが遅かったので、この日も家人と連光寺、尾根幹を45km。といっても、この最短コースはアップ&ダウンばかりで、なかなかに短時間で効率よく走れる。その後、走ろうと思ったものの、掃除、洗濯をし終わったらソファでうたた寝をしてしまい、ジムは風呂のみ。翌朝、ランをする気満々でいたものの、雨は止む気配がないので、11時に無理やり出発。世田谷通りは走る気がしないので、普段走らない烏山川緑道を行ってみる。平松夫妻と一度五反田まで走ったことがある。うちの近所からウネウネと狭い緑道になっていて、自転車も通行禁止。雨で滑らないように、気をつけて走る。小雨はしっかりと降っていて、とにかく湿度がすごい。通勤路の淡島通りと途中まで並行に走っていて、環七を渡った後から、246号の大橋をめざしていく。大橋からは目黒川沿い。これをそのまま行けば羽田に出る。いつもは年寄の散歩道だが、さすがに雨のこの日は人通りもなく、走りやすい。以前よりもよく整備されていて、新緑がきれいだ。246の手前は写真のとおり水路もあって、なかなか風情がある。いくつもの路地を横断するが、信号はない。目黒川沿いはやがて山手通りを横断することになるが、ガードを避けて大回りになるので、ここで折り返し。ざっと15km。すでにウエアは汗で絞れるほど。帰る頃に、ようやく雨があがっていた。戻ってから、納豆チャーハンを作って食べ、交流戦最終日、中日-ロッテ戦を見始めるが、BSの放送終了後、CSのチャンネルを探していたら、あっという間に5点を逆転されていた。「打順、一巡しました!」って。夕方、プールで1kmだけ泳ぎ、この日は一人ご飯だったので、ロッカーで一緒になったミユキさんと外食。さんざんしゃべって、戻ってきたら11時近かった。お弁当の煮物を作り、ラジオを聴きながら就寝。

野猿峠

梅雨入りは間違いだったのではないか、みたいなテレビ番組も出始めた雨の降らない6月。それでも、少し湿っぽい不快指数の高い毎日。土曜日は、iPadのsiriが「アシタノテンキハヨイヨウデスヨ」なんて、自信いっぱいに答えてくれていたけど、曇り。めずらしく、糸魚川でご機嫌続きの家人が「練習に行こうかな」なんて、今まで走ったことがない野猿峠80kmコースに着いてきた。相変わらず、登りは大きく遅れるものの、「いやぁ、復活したなぁ」と、訳わからない感想をはきつつ、ご機嫌な感じで走っていた。ご褒美は、前回と同じく、町田商店の脂たっぷりのラーメン。和泉多摩川ではアップルマンゴーパフェまで食べて、4時間少々で終了。翌日曜日も、「自転車乗りたいなぁ」なんて調子に乗っている家人を、仕方なく45km練集コースへ連れて行く。連光寺から尾根幹へ出て、さらに尾根幹で帰ってくる、アップ&ダウンばかりのコース。この日はランに出ようと思っていたので、ラン練習は3時から。仕事で3時からしか走れない、と前日ジム風呂で言っていた由美さんにメールをして、一緒に走ることに。夕方の仙川を、しゃべり全開で3時間。最後はほぼ歩きっぱなしながら、マックのポークタツタを食べることは忘れない。ジムへ戻ると、すっかり夜になっていて、サウナに入って終了。今週は練習量の多い週末だった。

空梅雨

ほとんど空梅雨、というか例年よりも10日早いという梅雨入り宣言自体が間違いだったのではないかと思うような晴天続き。このところ、週末の天気予報もまったくのハズレが続いているので、天気予報自体を信用していない。日曜日は雨でしょう、というので土曜日に練習に行くと、土曜日以上の晴れだったりする日曜日。このあいだの土曜日も、いつものごとく、ボトルに水だけ入れて、尾根環へ出発。暑くなく、気持ちの良い天気。糸魚川後は足がよくまわる。いつもの80kmを、トラックにクラクションを鳴らされることもなく、気持ちよく走る。和泉多摩川のミニストップで、今年初のマンゴーパフェ休憩。店に入って座ると、自分の腕がびっくりするくらい黒いのに驚く。「腕が焼けないように、長袖着て走ってるんだよね」と言う絹ちゃんの顔が真っ黒なので、「顔に日焼け止め塗らないとダメだよ」と言うと、「塗ってるけど、汗を拭くと取れちゃうんだよね」と言う。「ゆきえちゃんも、顔は黒いよ、白くはない」と言われたので、少し強力な日焼け止めを買った。スティックタイプでファウンデーションの上から塗り直しができるらしい。が、日焼け止めを塗り直ししたことなど、一度もない。日焼けを気にして、自転車には乗っていられない。

戦い済んで‥

糸魚川が終わった後、一週間ぐらいは昼間でも眠くて、お腹がいつも空いている。早い話、ほとんど仕事にはなっていない。時々、他の人のブログ報告を眺めては、「そうだったよねぇ」「おかしい、この人」なんて、参加した者でなければわからない「あるある」を楽しんでいる。新しいルートになって、曲がり角のポイントを地図に作ってポケットに入れて走っていた。信号待ちの時に取り出して見たりするが、これがなかなか面倒。昨今は、スマホのナビ頼りに走っている人もいて、これも便利だけれど、バッテリー切れという憂き目にも合う。なにせ、13時間以上だから、ずっとGPSを起動しておいたら、もつわけがない。と、車の時にスマホナビを使っている私は思う。そうなると、紙の地図以上に使いものにならない。前の人についていったら、その人も間違えて、結局正規ルートから外れてしまった、という人もいたらしい。今回、長野市街で距離が短縮になるという激坂ルートを行ってみたが、これが話以上の激坂で、3人で行ったものの、一人が大きく遅れ、分岐で10分以上待つ始末。正規ルートのアップルラインに出たら、「激坂はいやです」と正規ルートのまま走った人たちとバッチリと遭遇。距離短縮は、まったく時間短縮とはなっていなかったというオチがついていた。翌日の朝、糸魚川駅で輪行していたら、激坂でスイスイと抜いて行き、「これ、近道なわけ?」なんて話をしたトライアスリートのニセ宮塚は総合15位、「俺、他の区間は20位ぐらいなのに、あそこだけ30位」と笑っていた。やっぱり、時間短縮作戦は裏目に出たようなのであった。