佐渡その後

レース後のバイクはすごく足が回る。毎年そう思う。しかも、今年はバイクのタイムがよかったので、乗っておかない手はない、ということで小雨交じりの日曜日早朝、いつものようにタイヤに空気を入れて走り始めた。1週間前とは季節が違うくらいに涼しい。早朝の世田谷通りは車も少なく、走りやすい。しかも、追い風なのか速い。いつもの上りも楽々とこなし、快調に80km。帰りの町田街道も追い風か、と思ったが、結局すべて追い風に感じたほど、足がよく回ったということ。昼前には帰宅し、家の中に自転車をしまうと、雨が降り始めた。アクティブ・レストにはちょうどいいトレーニング。写真は、七浦荘のベランダから撮影した、夕景の七浦海岸。ピンクのラインになった夕日が美しい。来年も、ここへ帰ってこられるように。

佐渡国際トライアスロン

毎年、台風シーズンに行われる佐渡トライアスロンも、今年で連続14回目の出場になる。金曜日の早朝に東京を出発し、昼のフェリーに乗って、午後3時過ぎに両津港に到着する。毎年、毎年、いつも同じ。今年、唯一違ったのは、毎年泊まっていたうるま荘が宿をやめたこと。初めて、違う民宿に行く。同じ町内にある七浦荘。部屋からは海が見渡せた。そして、今年も台風がやってきていて、日曜日の前後は直撃か、温帯低気圧の前線の影響で大雨か、みたいな天候になっていた。金曜日も朝から土砂降り、という映像がニュースでは流れていた。今まで、天候によるスイム中止は二度経験している。バイクからのスタートになる。その説明は競技説明会ではいっさいなし。前日、お昼過ぎにうるま荘でお茶をしていたら、土砂降りの雨になった。気象庁の警報が出れば、大会は中止になる。いったいどうなることやら。
日曜日、朝4時過ぎに会場へ行くと、海は波しぶきがあがっている。発表は5時15分。みな、海をみつめるなか、予想どおり、スイム中止。ゼッケン順でのバイクスタートとなった。まだ大会が開催できただけ良しとしなければ。「なんか、やる気出ないなぁ。眠いよ~」とぼやいていると、「大丈夫、バイクになればスイッチ入るよ」と慰めてくれる同年代。「無理無理」と、まるで緊張感のないままにバイクスタート。ペダルにビンディングをカチッと差し込むと、言葉どおり、ばっちりとスイッチが入った。追い風基調のなか、バイクでとにかく選手を追い越す。なんといっても、最後尾からスタートしているので、抜くしかない。自分より若い番号の若い世代を抜いて、続いては男性の年輩、中年、若い世代と追い越して、76kmは小木の坂。長い長い上りも、今年は涼しくて快適。このあたりから、私より30番も若いゼッケンの36歳の女の子と抜きつ抜かれつ。彼女にしてみれば、自分より20歳近くも上の人間に抜かれたくはないのだろう。最後に抜いた時に、「がんばるね」と声を掛けたら、何か言いながら笑ってた。ランパートに入り、日差しはないものの、蒸し暑く、最初の5kmは脛が痛くてきつい。もう少し、もう少しすれば楽になる、となんとか折り返し。沢山の声援を受けつつ、残り3.7km。左脹脛に吊るような症状が現れたので、アミノゼリーの残りをとりつつ、ラスト。ようやく、今年もゴールできた。

もうすぐ佐渡

天気予報はまったくあてにならない。予報ではなく、現状報告。週末の天気も予報では、日曜日は晴れだった。それを信じて、土曜日は仕事をしたのに、夕方になって、日曜日は雨予報に変わった。しかも、小雨になりかかった8時半から出かけたら、25km地点の尾根幹ではかなりの降りになってきた。シューズの中は床上浸水レベル。タポタポしてる。あまりにひどいので、ここで折り返し。そのまま尾根幹を戻る。キンキンに冷凍してきたポラールボトルは、まだ一本目がだいぶ残りがある。それにしても、涼しいと、登りはこうも楽なのか。自転車の掃除が大変だなあ、と思いつつ、11時には帰宅。早速、自転車の汚れを落とし、ワックスをかける。あまりに早く帰ってきたので、昼食にも早くて、「キッズ・リターン」のDVDを見る。この映画は、17年前らしい。男の子の青春ものは、文句なくいい。大林映画しかり、北野映画しかり。少しのタイミングのズレや、ボタンの掛け違いで、手が届きかけた夢がこぼれていく。青春はだいたいが苦い思い出。DVDのあと、対タイガースのドラゴンズ戦。テレビをつけて、他の部屋に行っている間に、二連敗後の試合なのに、2回で8点献上。やれやれ。ばかばかしいので、チャンネルを変えて、伊丹十三の番組を見る。夕方、少し湿っぽくなってきたが、この日も外ランをするべく、ジムへ。ちょうど、由美さんが待ち合わせたかのように現れたので、無理やり誘って、二人で仙川へ。甲州街道の手前で折り返し、戻ると7時。帰ってから、お弁当のストックおかず2品と、ラタトゥユを作り、カッペリーニを冷製にして食べた。今週末は、佐渡である。

74km地点の白桃パフェ

暑い暑い夏も、38℃バイクを経験すると、35℃は涼しくさえ感じてしまう今週。先週と同じく、朝8時半に出発し、同じコースを行く。明らかに風が涼しく、快適。向かい風だけがしんどかったけど。ボトルごとキンキンに冷凍した水の、なんと美味しいこと。連光寺坂を上り、野猿峠を上り、まだお盆休みで車の少ない町田街道を飛ばす。38℃の時は、もうこの辺りでヘロヘロだった。いつもは、「寄るな、触るな、話しかけるな」みたいな雰囲気で走っているのに、誰かに声を掛けられたら、付いて行ってしまうくらいに弱っていた。慣れというのは恐ろしいもので、35℃のバイクはすでにデフォルトになっている。ラジオでは高校野球を聞きながら、もうぬるくなった水を飲みつつ、後半戦。74km地点にある多摩川近くのミニストップで、これも先週と同じく白桃パフェで休憩。先週は、このあたりですでに熱中症で、味もよくわからなかったが、この日はとても美味しく、堪能。80kmを4時間弱で帰宅。楽勝、と思っていたが、2時間も経つと、また頭痛。薬を飲んで、夕方30℃の中を10kmラン。ジムの仲間には、「こんなに暑いのに、走ったの?」と言われたが、風もあって、なかなか快調なランだった。

酷暑の夏

猛暑、なんてものじゃなく、酷暑。
気温が40度って、体温でも高熱なのに、空気が高熱状態って。
佐渡まで、残る3週間、1週バイク練を開けてしまうと、残り2回になってしまうので、日曜日、すでに6時でも暑いのに、ボトルごと冷凍庫でキンキンに冷やした750mlポラーボトルを2本持って、連光寺へ。8時半に出発して、10時頃まではいつもの暑さだった。これが、11時を過ぎた頃から、ぐっと暑くなってきて、保冷ボトルの水も、もはや熱湯状態。さっきまで、氷のかけらだった水を頭から掛けたら、熱い、熱い。高尾で40km、残り40km、帰れるだろうか、と不安になった。息を吸い込んでも、まるでドライヤーの熱風のようで、吸い込んでも息苦しい。少しの登りもお腹のあたりが気持ち悪く、3年前まで皆生トライアスロンの登りでやっていた、「あー、あー、あー」と声を出しながらペダルを漕ぐ。こうしていないと、お腹に力が入らない。心なしか、ロードの数も少ない。ボトルの水は、すでになくなり、残り7km地点のミニストップで、先週は食べられなかった白桃ヨーグルトパフェを食べる。カウンターで注文するが、顎から汗がボタボタと流れ、全身が汗でドロドロの中年女に、店員の男の子も引き気味。幸い、椅子席に誰もいないので、無理やり口に入れて、炭酸で流し込む。美味しいとか、冷たい、とかいう感覚がなく、喉につかえる感じ。最後の成城の登りを登って、なんとか80km終了。シャワーで水をしばらく浴びると、そのままソファに横になる。今年の夏は、ハンパネー。

シークレットレース

自転車競技のドーピング問題は、今年前人未到の七連覇を遂げたランス・アームストロングの自白によって、大きな局面を迎えた。そのアームストロングとUSポスタル時代にチームメイトとして一緒に過ごしたタイラー・ハミルトンが独白する形の小説が、シークレットレースだ。聞き手はダニエル・コイル。そこには、選手時代を通して、ドーピングと付き合った顛末が綴られている。私が初めてツール・ド・フランスを知ったのは、かれこれ27年前だと思う。ベルナール・イノーがいて、グレッグ・レモンがいて、ローラン・フィニョンもいた。この頃、動く映像を見られたのは、NHK総合でやっていた1時間の総集編だけだった。それでも、ツールの魅力は十分に伝わった。ツールを制する者は、英雄であり、自転車界のヒーローだった。アームストロングはモトローラにいた時に癌になり、復帰後七連覇を遂げている。当初から、ドーピングの噂はついて回ったが、次々とトップ選手が出場停止になるなか、ランスだけは無傷だった。それが、引退して、こんなに年数が経過してからの告発に、みんな首をかしげた。どうして、今さら、どうして、こんなに時間がかかったのか。それが、この本を読むとよくわかる。ランスは癌になった時からドーピングの噂があり、七連覇の頃は、自分は血液ドーピングの常習者であったにも関わらず、チームメイトを告発したり、国際自転車競技連盟(UCI)に密告したりを繰り返している。一番驚くのは、そのUCIも多額の寄付金で買収しており、ドーピングの検査日は彼には知らされていたということ。陽性反応が出た時も、その結果はもみ消しにされている。ランスは、自転車界のヒーローであり、一流の実業家であり、莫大な資産を生み出す商品であって、常に他を圧倒し、排除していかなければならない宿命にあったといえる。数年前にFBIが調査に動いた時も、政治的圧力で断念され、そして再び、かつてのチームメイト、フロイド・ランディスによる告発、米国アンチドーピング機構(USADA)が告訴し、すべての栄冠を剥奪した。ハミルトンの選手生命を絶ったのも、ランスによる告発であり、その弁護士費用に100万ドルをつぎ込んだ、とあった。そのハミルトンのドーピングの記録は、とても切ない。鎖骨骨折をし、歯を食いしばってラルプ・デュエズを登っていたタイラーをとてもよく覚えているが、その彼も、当時、血液ドーピングをしていたということ。そして、高速化したツールで活躍をするなら、それは必須のことだったということ。自転車に乗ることが好きだった選手が、勝つためにドーピングをし、そして破滅していく。その記録は、とてもとても悲しい。

ゲリラ豪雨

ここのところ、毎日がゲリラ豪雨への警戒。世田谷でも100棟の浸水があってから、他人事とは思えなくなってきた。出した洗濯物は洗い直しになるし、とにかく、あっという間に側溝が水で溢れる。土曜日は、朝から東北、関東に大雨警報、とテロップが出ていて、晴れてはいるものの、いつ降るか、と自宅待機の状態だった。しかも、ものすごい蒸し暑さだった。室内で冷房を掛けていても、汗がだらだらと出る。一応、走るウエアは着て、洗濯したり、掃除をしたりして待機していたが、結局、出ず仕舞い。夕方、ウトウトと昼寝をして、6時過ぎにジムに出かけ、トレッドミルで走った。雨は8時過ぎから。隅田川花火大会も中止になった。翌日、この日も夕方は雨、という予報だったが、早めにバイク練習に出かける。連光寺~尾根幹~野猿街道~北野街道、そのまま町田街道が70kmコースだが、この日は鑓水から柚木へ行き、尾根幹に戻ってくるコース。渋滞の町田街道を避けて、尾根幹をノンストップで走る。3時間少しで戻り、洗濯をして、そのまま夕方スイムのつもりが、ユミさんに走りますか?メールをすると、「混んでいるかもしれないので、シューズ持っていきます」と外ランの誘いもあったので、5時過ぎから仙川へ。しゃべりながらの13kmランを終えて、充実の日曜日が終了。夜は、タイラー・ハミルトン「シークレット・レース」を読む。

ベンチプレス世田谷大会

スポーツクラブのフリーウエイトコーナーでは、いつも石渡先生が門下生を指導している。クラブではなく、あくまでも自主トレ。そういう人達が何人もいて、マリアさんも美樹ちゃんも、その中のメンバー。大会が農大の道場であるというので、最近ロッカーで話すようになった奥様と二人で、日曜日の朝、農大の体育会合宿所近くの門をくぐる。アパートみたいな合宿所には、ユニフォームが干してあり、男の子が歩いてくる。「こんにちは」と言うので、「あの、道場はどこですか」「道場は、あっちです」と指さす方向には、立派な鉄筋の校舎があった。そこの3階でベンチプレス世田谷大会が行われていた。狭い教室みたいなところに、見ればほとんどスポーツクラブの人達が。重量の札を入れ替えしているのはワコちゃんだし、掲示の記録してるのはキクちゃんだった。この頃、先生の教えを受けているというユキちゃんは、「でも、52kg級だと、美樹ちゃんとぶつかるのよ」と言うので、「じゃあ、5kg太って、57kg級にしたら」と言っておいた。大会は上げるウエイトの軽い順に、3回試技を行う。審判は3人いて、2人以上の白旗が上がればクリア。マリアさんも美樹ちゃんも、体重別の参加は一人だけなので、二人とも金メダルだった。参加者のほとんどは、スポーツクラブの人たちで、揃いのTシャツにベルトを巻き、マリアさんも美樹ちゃんも、堂々として、なんかカッコいい。最後まで見ずに、私たちはスタバでお茶をしに出てしまった。その後、1時半から、私はバイクジャージに着替えて、小野路~尾根幹ルートの練習に出かけた。劇坂ばかりだったけど、ものすごく面白かった。

猛暑ふたたび

野尻湖に行っている間に、関東地方は梅雨明けし、記録的な猛暑へと突入した。一週間前に、信濃町でレースをしていたのがウソのようだ。少し歩いているだけで、クラクラする。こんな猛暑の中のレースでなくて、本当によかった。部屋の中も、冷房をかけていても暑いので、冷房の真下にクッションを置き、寝っころがって、遠くのテレビでやっているツール・ド・フランスを見ている。遠くの画面なので、レースも遠巻きに見ている感じで、「フルーム、頑張ってるなぁ」なんて、まるで気が入っていないのだ。そのツールも、いよいよラルプ・デュエズに突入で、そんな大事な局面で、すでにトップは4分半のアドバンテージを持っていて、盤石の展開。海の日の三連休も、東京は暑かった。初日の土曜日は、野尻湖の賞状と賞品が届き、今年も3位のご褒美つき。夕方やっとジムへ行き、おしゃべりしながらのトレッドミルだけ。祝日の月曜日、この日は曇りで「暑さは和らぎます」と天気予報ではさんざん言っていたのに、バイク練に出かけたら、途中から気分が悪くなるほどの暑さで、仕舞には手先が痺れてきた。水分補給もしたつもりだったが、帰り道は辛くて辛くて、やっとの思いで80km終了。氷をいっぱい入れたコーラをがぶ飲みしたが、空腹感は全然なく、横になったまま夕方まで休息。7月半ばで、早くも熱中症なのだった。グローブもしていたのに、左手中指がパックリと切れていたり、なんだか暑いと訳がわからない。どこかの町内放送で、「決して、外に出ないでください。運動はやめてください」と連呼していたとか。この日、東京は35.4度。

野尻湖カップジャパンオープン

昨年に続き、野尻湖トライアスロンに行ってきた。土曜日の朝、車に自転車と荷物のバッグを詰め込んで、関越から上信越道で信州信濃町をめざす。距離は280km、ナビで到着時間をみると、4時間半。天気予報では、新潟は昼から雨になっている。いちおう、長野県ではあるけれど、位置的には限りなく新潟に近い。予定どおり、野尻湖に着き、近くの手打ちそばの店で昼ごはん。蕎麦の香り豊かな手打ちそばをいただく。その後、勝手しったる野尻湖へ向かい、受付場所の野尻湖小学校へ。バイクとヘルメットをチェックし、その場でゼッケンを貼る。エントリー完了。今年は宿泊先をホテルにしたので、バイクコースになっている周遊道路を上っていく。延々と4km行くと、木立ちの中に、リゾート風の素敵な建物があった。客室の全面が湖面に面した、一面のガラス窓。湖を見ながら、準備。予報では、新潟県は雨。朝、出発する時はまだ曇り空だったものの、スイム開始頃から雨が降り出した。バイクでは、かなりの雨。去年も雨だったなあ、と山道へ向かう。路面が濡れているので、走る度に泥だらけになる。しかも、コースは上っているか、下っているかなので、下りは滑らないか不安。いつもより減速気味になる。しかし、きついコースである。上り、カーブ、下り、カーブ、の繰り返し。ようやく終わってランに移る。今年から11kmに短縮になり、それは良かったのだが、でもきつい。湖畔の道に入り、砂間館のおばさんに挨拶。ここから、延々と山道を上る。長い長い上り。一度下って、また登って、下って、というコース。折り返しなので、行も帰りも選手同士、声を掛けあいながら、時折ハイタッチする。MTBでオリンピックに出場し、今はショップ店主の鈴木雷太くんとハイタッチ、知らない若い男子ともハイタッチ、今年はかなり苦しそうなノッチには、「ノッチ、ファイト!」と声を掛けると、辛そうな顔で片手をあげた。ラストの1kmが、どうにもこうにも長い。なんとか抜かれずに、ゴール。見れば、足は全部が泥だらけ、バイクも見るも無残に泥だらけだった。車に積む前にボトルの水で、少し洗車。1時過ぎ、まだゴールする人もいたけれど、早々に高速に乗る。すぐに、前が見えないくらいの豪雨になった。