糸魚川スポルト

東京→糸魚川スポルトに2年ぶりに参加した。明治大学駿河台校舎から、糸魚川市のホテル国富アネックスまでの332kmを交代で走る。わがチームは3人編成なので、最初の1クールだけ30kmで、残りを20kmずつ、5回走ることになる。スタートはいつものとおりヤングで、時間差スタートの最初3時50分に、暗闇の駿河台を後にした。いつもの交代ポイント、国立インター手前のローソンで、到着を待つ。だいたいのチームがここで交代なので、春以来の挨拶。ヤングを待つ間に、自転車を置いてガードに腰かけていた外人男性が話しかけてきたので、しばらくおしゃべりした。仲間にピックアップしてもらい、金沢まで行くということだった。この仲間というのが、チャプター2のマイケル・ライスさんだった。車の上には、ピラーの突き抜けた2台のチャプター2が並んでいた。ここからしばらくは登りの連続。大垂水峠を過ぎても、相模湖~大月、笹子峠までは登り基調。私は3番手なので、相模湖駅前から大月駅前までの30km、1時間10分で交代。次は笹子峠下り途中までの20kmだが、ヤングがなかなか来ない。57分経ってようやくチェンジ。この辺りから、すでに暗雲が‥‥。甲府バイパスでは絹ちゃんが交代ポイントを通り過ぎ、10分のロス。二人には、その後挽回!を約束してもらい、その後は助手席に座った人がiPadで位置を確認しつつ、スムーズに走行していった。交代ポイントも、Google Arthで調べた場所がコンビニになっていたり、なくなっていたり。春のクラシックでみんなが嫌がる安曇野~大町のダラダラ登りは絹ちゃんと私でクリア。気の遠くなるような一本道も、普段のエアロバイクの高負荷トレーニングみたいだな、と距離計を見ながら踏んでいく。糸魚川街道に入ると、そろそろ残り時間を計算できる。なんとか5時半までに到着したい。ゴールまで走る私の最終区間は、小谷道の駅で、ここから25kmある。チェンジしたのは4時46分、目標タイムまで44分。下り基調の大好きな区間を、とにかく目いっぱい踏んで、トンネル&洞門の連続で、路面もガタガタな糸魚川街道をかっ飛ばす。やっぱりこのコースが楽しい。2年ぶりの道は、やがて姫川を越えて、市内に入っていく。距離計だけを見ながら、ようやくホテルの入口が見えた。到着は5時29分、自転車メーターのAv.は34.5kmだった。3人で13時間39分。3人チームハンデ20分、女性2人ハンデ40分の60分ハンデをもらって、24チーム中13位。反省点はいろいろあれど、まずまずの成績で終了。打ち上げを兼ねた宴会では、チーム挨拶の時の挽回ネタがウケて、同室のジニーに、「ゆきえさん、どうして、そんなに面白いんですか!」と質問された。写真は、駿河台でスタートを待つヤング。

物言う時計

Apple Watch体験1週間。急に思い立って、雨の中経堂駅に自転車を置いて、新宿西口のヨドバシカメラ入口付近のAppleコーナーへ行くも、スタッフポロの男性は到底買いそうにない男性客に熱心に4の説明をしていて、誰もこちらに来そうにはなく。展示してある4のベルトを見たくていじっていたら、docomoのカードを下げた9:1分けのおじさんに、「それは外してはいけないやつなんですよ!」と展示品を直しながらあからさまに怒られ、どうして怒られないといけないのかと納得いかなかったが、2日前に値下がりした3はすでに品薄の雰囲気だったので、そこで粘り、掃除用具を持って現れた黒ポロの若い女性に話しかけた。彼女は3のNike+を付けていたので、バンドの違い、防水の具合、アプリのことなど、質問攻めにした。バンドはNike+の物が欲しいけれど、すでに品切れということだったので、別売りのバンドを探そうとしたところ、彼女が奥の棚からNike+の箱を持って現れ、「ありました、一つだけ」とうれしそうに言うので、即決。レジの男性にも、「今日はこれと格闘です」と宣言して、帰ってからは設定やペアリングやアプリのことなど、iBookに入れたマニュアルを何度も読んで、まさに格闘していた。二日後、どうにもこうにも時計の音声がうるさくて、コントロールセンターが開かないので、もろもろの質問をまとめてサポートに電話すると、iPhoneのリモートで対応してくれて、疑問点にはすべて答えてくれた。相変わらずAppleのサポートは素晴らしい。時計の音声がうるさいのは、デフォルトでボイスコントロールが働いていたためで、これは本来目の不自由な人向けの機能ということで、これを外すと諸々解決できた。iPhoneのヘルスケアと連動しているアクティビティやワークアウトがやたらとうるさく、一日中座り仕事をしていると、「そろそろ立ち上がりましょう」とか「深呼吸しましょう」なんて言ってくる。朝のアラームを解除すると、「アラームを解除しました。でも、二度寝しないでくださいね」なんて言う。物言う時計は、ちょっとうるさい。

この夏の花火

暑かった夏がようやく終わり、やっと秋になってきた。栗や秋刀魚がスーパーに並んで、味覚の秋の到来。栗羊羹の特集番組があったりして、食べたくなった。9月の三連休は、秋が深まってきた武蔵野を自転車で走った。時折の日差しが、なんだか懐かしく感じるくらい、この日は涼しかった。佐渡で日焼けした肩の皮がむけてきたのに、なんだか日焼けした肌はアウトな感じがした。御殿峠、野猿峠を登って、帰りの調布撮影所近くのコンビニで昼食休憩。テーブル席で食べていると、隣は女子中学生と思しき二人連れ。制服姿でお菓子を食べている。「○○、うざいよね」「うざい、うざい」という会話で気づいて横を見ると、この間まで小学生だったような幼い顔つきの女の子。女の子がうざい、というのに嫌悪感。自分が言われたらどうなんだろう。言葉づかいで、人の値打ちもわかろうというもの。私立の制服みたいだったけど、お里が知れる。今年見た花火は、佐渡終了時のだけ。近くで見られたので、迫力もあった。

30回目の佐渡の夏

今年の佐渡トライアスロンは30回の記念大会だった。私は連続19回目の参加なので、12回大会から参加していることになる。初めて佐渡に来てから19年経ったわけで、最初の宿だったうるま荘はすでに宿業をやめ、7年前から同じ町内にある七浦荘にお世話になっている。この2件の民宿は100mほどの距離にあって、もちろん幼い頃からのご近所でもあって、七浦のご主人は「うるま荘からインパクトの強い女鉄人がやってくる、と噂してたんだよ」と7年前に言っていた。レースの終わる日曜日は、みんなの食事の席にビール片手にやってきて、愉快にしゃべり、飲み、レースを労ってくれていた。そのご主人が、30回の記念大会の年、しかも直前の8月に入院したと宿に着いた時に知らされた。帰りがけに、いつもの常連メンバーは激励のコメントを書いて宿を後にしたのだった。今年も3人全員、無事に完走できて、また来年と帰ってきたのだけど、私自身20回目となる2019年大会には、必ず再会できると信じて、もう少し頑張ろうと思った。

たまライド100K

もういい加減にしてほしい、今年の蒸し暑い夏も2ヶ月。普通ならば、昼間は暑くても、夜には涼しい風でも吹いていそうな8月末も、一日中ムシムシ、この日も今夏最高気温37度を記録してしまった東京。そして、たまライド100Kの日であった。熱中症を心配する声もあって、どうなることかと思ったが、昼前に50代男性一人が熱中症の症状で木陰で休み、そのまま創造舎まで戻った。ずっと話はできていたし、渡したおにぎりを一気に食べていたので、立ちあがった時はだいぶ回復していた。昼食後、一行は30代3人、大学生、高校生、中学生の若者3人、そして50代一人という参加者になった。やはり若人は元気で、水がなくなるとコンビニ休憩をしたが、水や氷をみんなで分け合い、頭に冷水をかけて、それでもペースは落ちずに、笑顔のままゴールできた。参加者同士の会話も弾んで、極限状態を共有しているという全員おかしな一体感も生まれて、「すげぇ楽しい」一日だった。唯一50代で完走したイケダさんは、若者の体力に頼もしさを感じ、「ニッポンの将来は捨てたもんじゃない」というメールをくれた。最年少14歳のヒロキくんは、「前半の登りがきつかったですけど、後半は大丈夫でした」と軽々と答えた。やっぱりやってよかった、希望が見えた酷暑ライドだった。

酷暑の夏の過ごし方

お盆休みながら、連日の猛暑でどこにも出かけず。せめてお昼を食べに、と三軒茶屋まで自転車で走っただけで、大汗。冷房の効いた自宅に戻って、高校野球を見ながら「これが一番」と観戦を決め込む。高校野球は、この暑さでも満員御礼で、試合もそれに応えるかのように熱戦ばかり。逆転サヨナラ満塁本塁打、7点を追いついて逆転勝利、と筋書のないゲーム展開はダレ切ったセ・リーグの試合とは段違い。今の中日では、済美高校に勝てないだろう、きっと。夕方になって、外ランをしようとしたが、夜7時になっても湿度80%の蒸し暑さにめげて、プールへ。いつもなら8時30分まで選手コースで3コース使っているジムプールも、この日はお盆休みでがらがら。なので、一人で1レーン貸切状態で、40分ノンストップで泳げた。ここ数回、50mプールで泳いでいるせいか、泳ぎは快調。スイムだけは練習できてる。あとはどうやって、20kmランの練習をするか、だ。

新豊洲夕景

梅雨が早く終わったり、事務所の引っ越しとか、怒涛の6月が終わり、気がつけば明日は8月。もう一年の半分以上が終わってしまっている。日本は全国的に5年ぶりの猛暑で、イベントに人は集まらず、トレーニングもままならず、散々な夏である。それでも、新事務所は格別に快適で、その部分だけは数段クラスアップした。先週は、イベント告知の撮影で夜の豊洲ぐるり公園へ出かけた。車で行くのは初めてで、ナビに言われるままに行くと、北品川からレインボーブリッジを渡った。レインボーブリッジが高速道路でないことも、東京にいながら知らなかった。橋から眺める東京湾はきれいだった。豊洲ぐるり公園も、今はまさにぐるりと4km走れるようになっているようで、夕方ジョギングをする人もちらほらといた。夜景を撮影するので、日没まで公園をぶらぶらとサイクリング。道幅も広く、海を挟んだ倉庫街の景色はとても日本とは思えない。ようやく日が沈み、夜景のきれいなことと言ったら。新豊洲は次の東京新名所になる。

新緑のぐるぐるラン

関東は梅雨入り前だというのに、真夏の暑さの日曜日。5月はまるで走っていないので、バイザーをつけて走り始める。ぐるぐるランはいつぶりだろう。今日はなるべく走っていない道を行ってみようと、まずは駒沢公園に入って、目黒方向へ行くと、呑川に出て、さらに林のほうを目指すと、由緒正しき神社が現れた。日露戦争戦没碑、狛犬もあって、八雲氷川神社と書いてある。いつのまにか、八雲にきた。目黒通りを北へ向かうが、目黒川まではまだまだなので、そのまま世田谷方向へ。走り始めはまだ大丈夫だと思ったけど、段々暑さが堪えてきて、コンビニで飲み物を買い、ソフトクリームを食べ、歩きも入りながら、ようやく戻ってこられた。シャワーを浴びたら、少々熱中症気味で、あとは昼寝。だめだ、こりゃ。やろうと思っていたエアコンの掃除は翌朝へ持越し。ひどく疲れた。

5月は緑のカーテン

今年度最初のたまライドは70K、秋の大型台風で土砂崩れで通行止めだった戸沢峠を久しぶりにコースに入れることができた。秋川渓谷も声が上がるほど新緑がきれいだったが、戸沢峠からの美山通りも、まるで緑のカーテンのような美しさだった。遠くへ行かなくても、武蔵野は懐が深い。今回は、中学生、高校生を含む16人のエントリー。若い男性も多く、ランチをはさんで終始賑やかなライドだった。女性2名はリピーターで、うち1名は6回目となるヘビーユーザー。前回の70Kが、ディレイラーハンガー破断で止む無くタクシーとなり、今回は見事リベンジに成功。雪の100Kで途中ショートカットだったご夫婦も、今回は余裕の完走。「次は本当に100Kをリベンジするわ」と、笑顔で帰られた。今年は、70Kもランチ付になったので、お昼はみんなで和気藹々と会話も弾んで、楽しめた。いつものごとく、キャナリーロウのランチは行列の人気ぶりだったが、店長が17人の席をきちんとセットしてくれて、特別感満載。来月は100K。

暴風雨の日本海

今年の東京→糸魚川ファストランも終了した。2年連続で雨はないだろう、と高をくくっていたものの、去年を上回る悪天候になろうとは。スタートから雨だったが、去年のような寒さはなく、山梨は一晩中エアコンをつけていても汗びっしょりというくらいに蒸し暑かった。何を着ようか迷ったが、新潟からの雨は小雨のようなので、アームカバー、レッグカバーを付け、ウインドブレーカーを着て走り始める。この雨は富士見峠の下り、70km地点までは降り続いていた。岡谷の第一チェックは7 時前に到着、2時台スタートの人たちにも追いついてペースはよかった。塩尻峠を過ぎ、松本に入ると雨はすっかりあがって、長野県は暑くなくほぼ快適。このまま行くわけはないとは思ったが、豊科、明科とところどころはパックに付いて進んでいく。大岡の第二チェックでは長征班のサポート隊やいろいろな人とも話をし、いよいよ坂中峠。3時スタートのHさんが付いてきたので、しばらく鬼引き。坂中峠手前で別れ、180kmも走ってきての10kmの登り。どうにもこうにも腰が痛いので、ところどころで足を付き、腰を伸ばさないと走れない。第三チェックの妙高は1時前に到着。タイムチェックのタクマに「早いっすね」と言われる。ただし、ここからは雨、風がひどくなるので注意せよ、とのアナウンス。走り始めてすぐに、これは容易ではないことがわかる。風も雨もひどいけど、とにかく寒い。気温8℃。20kmほど行ったところでコメリがあったのでカッパを探すが適当なのがない。園芸用の手袋を買い、少し先のコンビニでカッパの上下を買い、寒いのでカフェラテを飲んで、いざ走り出すが、どうにも寒い。これは無理と、うろうろしていたら、後ろから絹ちゃんが来て、「私、やめる」と言う。二人でやめることにし、他チームのサポートカーに乗せてもらおうと探してみたがみつからず、コンビニでゴミ袋を買って、最寄駅の二本木から輪行。糸魚川駅から走って、ホテル着は午後7時。糸魚川は雨は上がっていたけど、ものすごく寒かった。こうして私の糸魚川は終了。12位だった池澤くんでさえ、日本海沿いの45km区間はインナー×ロウで時速13kmという向かい風、「全然進まないんだよ」ということで、到底無理だった。走行220kmだけど、かなり疲れてるのも情けない。